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鎌倉武士が実際に行なった戦闘準備・装束・食事とは?

鎌倉殿の「大粛清」劇⑳

武士の刀は直刀から弯刀へと変わった

調練① 笠懸
馬上から的を射る武士の習わし。流鏑馬が神事として行われる年中行事であったのに対し、こちらは余興や趣味の意味合いが強く、装束も略式で行っていた。『男衾三郎絵馬』出典/ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 「馬上三物(ばじょうみつもの)」といわれる流鏑馬(やぶさめ)・犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)は、武士を象徴する特殊技術だ。

 

 流鏑馬とは、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)で的を射る競技、犬追物は放たれた犬を蟇目矢(ひきめや)で騎馬武者が射る競技、笠懸は行縢(むかばき)だけ着けた馬上武者が、牛皮張りの板的を狙う競技だ。ともに京都で始まり、鎌倉初期に武士の技術促進とともに儀礼化していった。流鏑馬は今でも鎌倉鶴岡八幡宮で8月に行われている。

 

 鎌倉武士の武具はおおよそ大鎧(おおよろい)・兜・太刀・弓矢・箙(えびら)・馬具に集約される。大鎧は右引き合わせの胴造りで、空いている右側を覆うための脇楯(わいだて)を着ける。さらに大腿部を保護する前後左右の4つの草摺(くさずり)、胴正面に弦走(つるばしり)という革を張る。左右の肩には袖、逆板(さかいた)・障子板(しょうじのいた)・鳩尾板(きゅうびのいた)・栴檀板(せんだんのいた)など攻撃と防備の機能を持つ装備を着ける。

 

 兜は、台形状の多数の鉄板(地板)を鋲(びょう)で留める。星兜(ほしかぶと)はその鋲が外に突起状になったものだ。鉢の下回りには札板(いたざね)5枚構成の𩊱(しころ)が付き、端はわずかに吹返(ふきかえし)という折り返しがある。鉢の前面には鉄板の眉庇(まびさし)を装着、そこに鉢形(はちがた)などの前立物(まえだてもの)が付くこともある。

 

「太刀打ち」と呼ばれるように、太刀は、直刀(ちょくとう)から反りを持つ弯刀(わんとう)へ変化した鎬造(しのぎづくり)の大きな刀である。足金物(あしかなもの)・帯取(おびとり)・佩緒(はきお)の3セットにより左腰に刃を下にして装着した。鞘回りには金具や漆で飾り立てたものも多く、実戦以外に寺社への奉納品としても使用された。

 

 弓矢・箙(えびら)は、攻撃武器の代表道具である。木製弓に竹を張り合わせた「合わせ弓」は飛距離と攻撃能力を高めた。漆と飾りで強靭にした重籐弓(しげどうゆみ)などがその代表だ。篠竹(しのだけ)の矢を鷹や鷲の羽根・鏃(やじり)を装着し、箱型の方立に入れ、毛皮で竹網代(たけあじろ)の全体を覆うものを空穂(うつぼ)という。

 

 馬具には、馬を制御する轡(くつわ)・手綱(たづな)・腹帯(はらおび)と鞦(しりがい)で鞍を固定し、人を乗せる。足をかける舌長鐙(したながあぶみ)などが装備され、激しい人馬の動きを可能にしていった。

武士の装束
甲乙の2点(右)が直垂。「鎌倉時代より三百年に至る武士平素の風俗」と記されている。左は『俵藤太繪詞』所収の「腹巻図背板図」の武装姿を模写。『日本歴史参考図』国立国会図書館蔵

食事は日常は質素だが儀礼のときは豪華

 

 武士は戦闘準備ばかりしていたわけではない。普段の生活では布製の直垂が日常着であった。もとは水干(すいかん)を着やすくするために垂領(たりくび)作りにしたことが始まる。頭には侍烏帽子(さむらいえぼし)をつけ、手に蝙蝠(かわほり)という扇を持ち、左腰には太刀を佩(は)き、足に踏皮(たび)を着けるのが普通であった。

 

 武士の子どもは狩衣(かりぎぬ)仕立ての細長(ほそなが)姿で、大人とは紐結びが異なるだけだ。武士の妻室は小こ袿うちかけ姿すがたで、表衣(ひょうい)・五衣(いつつぎぬ)など重ね着の煩わしさから解放された。

 

 さて、鎌倉時代前期、日常の食事は質素だ。鎌倉の地下からかなり出土する摺鉢(すりばち/現在の愛知県の常滑焼/とこなめやきだが摺り目はない)、卸皿(おろしざら/瀬戸産)、摺粉木(すりこぎ)からみて、木製の搗臼(つきうす)で蕎麦や麦・大豆を粉にしていたらしい。素麺(そうめん)や饂飩(うどん)の原点といえる。

 

 瀬戸産の卸し皿には卸し目があり、大根・山葵(わさび)・生姜を摺り卸して麵類を食したのだろうか。今でも禅寺で夏の終わりの「饂飩供養」に結びつく精進料理的な食生活といえる。戦国期でも三膳だけで塗物の碗で食している(『酒飯論絵巻/しゅうはんろんまき』)。

 

 幕府の儀礼饗宴は、酒礼・饗膳(きょうぜん)・酒宴の3セットが基本となる。折敷(おしき)にのる三重の土器(かわらけ)の盃、三方(さんぽう/または四方/しほう)に乗る熨斗鮑(のしあわび)・勝栗(かちぐり)・昆布を肴に2杯ずつ酒を順に飲む。戦時の縁起を継承している。

 

 次は本膳「七五三の膳」で本格的な食事となる。『酒飯論絵巻』にみる厨房では、鳥(鶴・鴨など)と魚(鯉)をさばく調理人、その後ろには海老(鎌倉海老)と蛤(はまぐり)が見える。煮物・汁物の鍋をかき回す雑人(ぞうにん)の姿は本膳料理の準備と見える。

 

 本膳は烏賊(いか)・鰹(かつお)の和混(あへまぜ)、御汁鶴・鮒膾(ふななます)・御香・鶉(うずら)焼鳥・御飯である。二の膳が蒲鉾・貝鮑(かいあわび)・鯉指身(こいさしみ)・鮎鮨(あゆずし)。

 

 三の膳は海月(くらげ)・海鼠(なまこ)・鮭塩引(さけしおびき)・摺熨斗(ちぢみのし)・雉真羽煎(きじまはいり)・鯉、四の膳が酒鯛(さけたい)・鱈昆布(たらこんぶ)・辛螺(にし)。

 

 そして五の膳が鎌倉海老船盛・鰍小串(かじかこぐし)・小鮒一献煮(こぶないっこんに)、最後に菓子膳で釣柿(つりがき)・金羹(きんかん)・甘海苔(あまのり)で〆る。本膳はかなり豪華であったといえる。

 

監修・文/伊藤一美

『歴史人』20227月号「源頼朝亡き後の北条義時と13人の御家人」より

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