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【ランキング】戦国武将の作戦参謀として、「最も頼れる軍師」は誰?


 戦国の世を生き抜いた戦国武将、そして武将の理念を実現させようと、戦略や戦術を進言した名軍師。「名将の影には名参謀あり」といわれます。今回のアンケートは、「戦国武将の作戦参謀として、”最も頼れる軍師”は誰か?」について集計。318票の投票から、第5位から第1位までを発表します。 <総票:318票  男性:女性=7:3>


大阪城公園豊國神社にある豊臣秀吉公の像。第1位に選ばれた軍師は、秀吉に仕えました。

 

第5位 「山本勘助」「豊臣秀長」 投票数:36票 

 

 第5位は36票を集めた「山本勘助(やまもと・かんすけ)」と「豊臣秀長(とよとみ・ひでなが)」。

 

 山本勘助は、武田信玄(たけだ・しんげん)の伝説的な軍師として知られる人物。長い間、その実在に疑問符が付けられており、その人生は今なお謎に包まれている武将です。勘助が50歳の頃、甲斐を統一したばかりの信玄に初めて仕官が叶います。信玄の命を受け、使者として外交面で活躍し、信玄からの信頼はとても厚かったと伝えられています。

 

 戦では、長野県上田市にある戸石城を舞台に繰り広げられた「戸石城の合戦」や、戦死することとなった「川中島の戦い」などに、勘助がかかわっていたとされています。

 

 山本勘助を推薦する人からは、彼の知力を讃える人が多く、「敵軍を挑発しておびき寄せ、一気に攻撃を仕掛けるキツツキ戦法を考案。その発想力は名軍師にふさわしい」といった推薦コメントがありました。

 

 もう1人、同票で5位となったのは豊臣秀長(とよとみ・ひでなが)。天下人・豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)の弟。右腕。秀吉の中国征伐に従い頭角をあらわし、山崎の戦いや賤ケ岳の戦いなどに参戦。中国征伐では秀吉の名代としての大役を果たします。

 

 秀長に票を投じた人からは、情報収集力や分析力の高さを理由に挙げる声が目立ちます。「秀吉だけでなく諸大名の信頼も厚かった」「秀長が亡くなった後、豊臣家が滅びてしまった。秀長が長生きしていれば、豊臣家は安泰だったはず。秀長が、秀吉の“最強の“右腕だったことがよくわかります」などのコメントが寄せられています。

 

 

第4位 「石田三成」  投票数:45

 

 第4位は45票を獲得した「石田三成(いしだ・みつなり)。天下人・豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)のもと、知的教養と優れた計数感覚を武器に、五奉行の一人として政権中枢で活躍した“官僚型”の軍師です。

 

「太閤検地や刀狩りなど、実に多くの政策にかかわり実現。その行政手腕には舌を巻きます」「秀吉の功績は、三成なくしては語れないと思う」「英傑・秀吉から絶大な信頼を得ていたことが、三成の素晴らしさの証明でもあると思う」などの声がありました。

 

 

 

第3位 「直江兼続」「真田昌幸」  投票数:57票 

 

  第3位は4位に12票の差をつけた、「直江兼続(なおえ・かねつぐ)」と「真田昌幸(さなだ・まさゆき)」の2人。それぞれ57票を獲得しました。

 

 1人目の直江兼続は、上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)の執政として、上杉謙信(うえすぎ・けんしん)亡き後の上杉家を盛り立てました。「愛」の一文字を掲げた兜を思い浮かべる人も多いでしょう。4位に選ばれた石田三成とも親しかった武将です。

 

 「義」を信条としており、上杉家の家臣でありながら、秀吉がその才気と人間性に惚れ込んだといわれています。

 

 兼続を推薦する人からは、「智勇兼備。上杉家のなかで圧倒的な実力者」「主君・景勝への絶対的忠誠心を感じます」など、その実力を評価するコメントが多く寄せられました。また、関ヶ原の戦いを引き起こすことになった「直江状」を、徳川家康に叩きつけたという一説を挙げ、「“武を誇りとし、“義を貫く上杉家らしさは、そのまま兼続らしさだと思います」など、兼続の人柄に惚れ込んでいる人たちの声が数多く寄せられました。

 

 第3位となった2人目の武将は真田昌幸(さなだ・まさゆき)。ご存じの通り、真田幸村(さなだ・ゆきむら)の父親です。昌幸は、幼い頃から武田信玄(たけだ・しんげん)に仕え、その兵法を学びました。その後、武田勝頼(たけだ・かつより)に仕えましたが、長篠の戦いで兄たちが戦死したことで家督を継ぐことになります。

 

 信玄・勝頼に仕えた後は、さらに織田信長(おだ・のぶなが)、北条氏直(ほうじょう・うじなお)、上杉景勝、豊臣家などと主君を変え、「戦国の一匹狼」との異名をとりました。こうしたことからか、昌幸を推す人からは「世渡り上手。これも戦国で生き抜くには必要な力だと思う」というコメント。

 

 また、天正13年(1585)と慶長5年(1600)2度の上田城の合戦で徳川軍を相手に猛攻をしのいだことから、昌幸の戦上手ぶりに魅せられている人も多くいるようです。「徳川や北条と互角にわたり合った。その勇気と才覚に脱帽です」「少ない人数で大軍の家康軍を撃退した。その智謀は唯一無二だと思います」

 

 

第2位 「竹中半兵衛 投票数:93

 

 第2位は、3位に36票の差をつけた「竹中半兵衛(たけなか・はんべえ)」で、93票を獲得しました。本来の名は「竹中重治(たけなか・しげはる)」。戦国時代を代表とする名軍師といってよいでしょう。

 

 戦場で類い稀なる才覚を発揮。織田信長に仕えることを拒否し、秀吉に仕えます。永禄10年(1567)難攻不落の城・稲葉山城を、わずかな人数で乗っ取り成功させたエピソードはあまりに有名です。また、天正元年(1573)の小谷城の戦いでは、半兵衛の裏切り工作が大きな効果を示したともいわれています。

 

 半兵衛を名軍師と考える人たちは、揃って彼の戦上手をその理由に挙げています。「稲葉山城乗っ取りの逸話、さらに小谷城の戦いでの工作……。戦において、これほど有能な人物が他にいるだろうか」と軍師らしい戦略に感服しているようです。

 

 

第1位 「黒田官兵衛」 投票数:138

 

 そして第1位は、2位にさらに45票もの大差をつけ、138票を獲得した「黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)」。2位の竹中半兵衛とともに「二兵衞」と呼ばれました。

 

 『孫子』の兵法を駆使し、和平交渉にも力を発揮。さらに築城の名手としても知られ、加藤清正や藤堂高虎とともに、三大築城名手と称されている武将です。才覚だけでなく、家臣や庶民からも敬愛されるなど、圧倒的な存在感を感じさせます。

 

 織田信長は官兵衛の才能にいち早く気づき、豊臣秀吉の中国攻めに官兵衛を加勢させました。英賀の戦い(あがのたたかい)では、5,000の毛利勢に対し、500の兵力で奇襲を仕掛け勝利。この戦いで官兵衛の評価は決定的となり、以後、秀吉の軍師として彼を天下人にせんと、知略の限りを尽くします。豊臣秀吉が最も頼りにした稀代の軍師でしょう。

 

 推薦する人からは「食糧補給手段を断つ“兵糧攻め”や、備中高松城の“水攻め”など、その長けた戦術に驚かされます」「戦略・戦術、交渉力、そして主君からの信頼。とにかく何を取ってもすごい武将」と称賛する声が多く寄せられています。

 

 またNo.1軍師としてだけでなく、彼の人間性に魅せられた人も多くいるようです。「『黒田如水教諭』で、官兵衛は“威厳がなければ部下を統率することはできないが、高慢で居丈高になるのは間違いだ”と語っています。天下人となっても良い人物です」。戦国の世でも現代でも、人として尊敬される人だったようです。

 

 

(アンケート…メールとハガキで集計。総票数:318票)

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