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“北条氏VS比企氏”対立抗争の幕を開けた「阿野全成の謀反」

頼朝亡き後の謀反・抗争を巡る謎②


8月7日(日)放送の『鎌倉殿の13人』第30回「全成の確率」は、源頼家(みなもとのよりいえ/金子大地)に呪詛(じゅそ)をかけた阿野全成(あのぜんじょう/新納慎也)をめぐる比企氏と北条氏との熾烈な駆け引きが描かれた。権力闘争から一歩引いた立場だった北条義時(ほうじょうよしとき/小栗旬)は、ついにその渦中へと足を踏み入れることとなった。


一触即発の事態に突入した比企氏と北条氏

 

静岡県沼津市にある大泉寺に建つ阿野全成と、その子・時元の墓。全成が処刑された時、時元は政子らの尽力により、死罪を免れた。

 

 阿野全成が、鎌倉殿である源頼家に呪詛(じゅそ)をかけたことが発覚した。

 

 比企能員(ひきよしかず/佐藤二朗)は、背後で北条氏が糸を引いていることを疑う。これを機に、北条氏の者をすべて攻め滅ぼすつもりだ。

 

 頼家の母である北条政子(ほうじょうまさこ/小池栄子)の取りなしもあり、全成は死罪を免れ、常陸国に流罪となった。宿老の北条義時(小栗旬)の見立てでは、半年ほどで鎌倉に戻って来ることができるという。

 

 権力を掌握し始めた能員だったが、制御のきかない頼家に手を焼いていた。そこで、能員は常陸国の山奥に幽閉されている全成を訪ね、呪詛の道具を渡す。妻の実衣(みい/宮澤エマ)の命を救うため、頼家に呪詛をかけるよう依頼したのだ。

 

 まもなく、全成が密かに呪詛の儀式を行なっていることが発覚。激怒した頼家の命により、全成は処刑された。

 

 死罪の連鎖を食い止めるべく、義時は能員排除に立ち上がる。しかし、その矢先、頼家が病に倒れたのだった。

 

悪禅師の異名をとる武芸達者の僧侶

 

 源頼朝亡き後、兄弟で唯一生き残っていたのが阿野全成だ。

 

 全成は頼朝とは異母兄弟で、父は頼朝と同じく源義朝(よしとも)だが、母は才色兼備の美女とされる常盤御前(ときわごぜん)。全成は母の常盤御前とともに、平治の乱で敗れた義朝の死後に平氏に捕縛された。

 

 常盤御前の子である全成、義円(ぎえん)、義経(よしつね)の三兄弟は、母の助命嘆願により命を永らえた。なお、常盤御前は助命と引き換えに清盛の妾になったといわれている(『義経記』)。

 

 その後、全成は醍醐寺に預けられ、僧となり修行を積んだ。ところが、兄の頼朝が治承4年(1180)に挙兵したことに伴い、出奔。下総国鷺沼(現在の千葉県習志野市)で、兄弟の中で最も早く頼朝との再会を果たした。

 

 義経や範頼(のりより)が頼朝に謀反の疑いをかけられ、次々と命を落としていくなか、全成のみは権力闘争や合戦とは無縁の人生を歩む。北条時政の娘を妻とし、駿河国阿野荘(現在の静岡県沼津市)を領地としたため、阿野を名乗るようになった。頼朝の嫡男である頼家の次男・千幡(せんまん)の乳母になったのも、頼朝からの信任が厚かったことの証と考えられる。

 

 そんな全成に転機が訪れたのは、頼朝の死後のこと。頼家から謀反の疑いをかけられたのだ。

 

 その背景には、やはり熾烈な権力闘争があるようだ。

 

 次の鎌倉殿に頼家の嫡男である一幡(いちまん)が就任すると、比企氏の権勢をますます勢いづかせることになる。比企能員が一幡の、つまり鎌倉殿の外祖父となるからだ。

 

 これに対抗するため、北条氏が画策したのが次男の千幡擁立だった。千幡が鎌倉殿となれば、乳母を務めていた北条氏の権力が増すことになる。

 

 ドラマでは、頼家は比企氏とも北条氏とも距離を取っているように描かれているが、実際は頼家と比企氏は協力関係にあった。

 

 頼家の腹心であった梶原景時(かじわらかげとき)は、全成の妻である阿波局(ドラマの中では実衣)が結城朝光(ゆうきともみつ)に告げ口をしたことが発端となって失脚した。頼家は、これを自身の力を削ぐよう画策した北条氏の陰謀と捉えたらしい。

 

 全成謀反の噂がもたらされると、頼家は即座に反応。『吾妻鏡』によれば、全成は夜中にすぐ捕縛された。

 

 どのような謀反を計画していたのか、『吾妻鏡』には具体的に書かれていない。

 

 全成には「悪禅師」という別名があった。ドラマではうかがい知ることができないが、武芸に通じた人物だったと考えられている。「悪」とは、今日的な悪事などと違って、豪勇といったような意味合いのようだ。しかし、全成が合戦に参加した様子は見られない。武芸ではなく、あくまで占いや仏事といった側面で政権を支える役割を担っていた。

 

 千幡が鎌倉殿となれば、全成は絶大な権力を握ることになるわけだが、そもそも全成が本当に謀反を企てていたのかは分からない。もちろん、縁続きにある北条氏と結託した可能性も否定できないが、頼家と北条氏との対立の末に巻き込まれた、とする見方は多い。

 

 いずれにせよ、千幡の後ろ盾であった全成が謀反(むほん)の疑いで誅殺(ちゅうさつ)されたことは、政権内での千幡あるいは北条氏の立場を危うくした。

 

 窮地に立たされた北条氏は、それからまもなくして、巻き返しの行動に出ることとなる。

 

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過去記事

小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。近著に『「最弱」徳川家臣団の天下取り』(エムディエヌコーポレーション/矢部健太郎監修/2023)、執筆協力『歴史人物名鑑 徳川家康と最強の家臣団』(東京ニュース通信社/2022)などがある。

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