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「八田知家=源頼朝の弟」説の真偽を探る

鬼滅の戦史88


13人の合議制の一員の中で、謎多き人物としてひときわ異彩を放つのが、八田知家(はったともいえ)である。彼は一説によれば源頼朝の弟だったと言われることもある。その真相に迫りたい。


八田知家肖像『前賢故実』菊池容斎筆/国立国会図書館蔵

狂気を秘めた謎の人物

 

 鎌倉幕府2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)の専制を抑えるために設けられた13人の合議制。その一人でもあった八田知家なる御仁は、実のところ、個性豊かな御家人たちの中にあっても、ひときわ異彩を放つ謎多き人物であった。

 

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、名優・市原隼人が、狂気をも内に秘めた不思議な魅力を放っていたのが印象的で、イケメンが演じるだけあって実に魅力的であった。史書に登場する等身大の知家も、おそらくは同様の狂気をも感じさせる不思議な人物だったに違いない。

 

 ただし、30代の若き市原氏とは違って、知家本人は頼朝より年上のはず。1142年(1144年説も)生まれというから、頼朝が亡くなった1299年の時点で見れば、すでに57歳前後。初老といっても良さそうな年齢である。実像は、市原氏とは大違いと思っていただいた方が良さそうだ。

 

 この御仁、通説では、下野国の豪族・八田(宇都宮)宗綱の四男ということになっている。頼朝挙兵時からその配下として付き従い、奥州合戦では東海道大将軍に任じられ、奥州藤原氏討伐にも大きく貢献している。朝廷から右衛門尉という官位を勝手に受けたことで、頼朝から叱責されたこともあったが、その後も大任を命じられているところからすれば、概ね信頼されていたと見るべきだろう。

 

 頼朝亡き後は、13人の合議制の一員にも選ばれた。その知家のイメージは、この辺りまではよかったが、頼家に命じられて北条時政(ほうじょうときまさ)一派の阿野全成(あのぜんじょう)を誅殺(ちゅうさつ)した辺りから、大きく損ねたようである。

 

系譜を辿ると、天皇家や藤原氏にも繋がる?

 

 この全成殺害によるイメージ低下に加えて、知家を謎めく人物と思わせるようになった一因が、その出生にまつわる問題であった。

 

 前述のように、通説では、八田宗綱の四男ということになっているが、兄である宇都宮朝綱(うつのみやともつな)と20歳も年齢が離れているというのが、まず腑に落ちない。一説によれば、朝綱は兄ではなく、祖父だったと言われることもある。朝綱の娘・八田局が、知家の母だったというのだ。

 

 また、宗綱の娘・寒河尼(さむかわのあま)が頼朝の乳母を務めたというが、この女性の生年は1137年。知家の妹ではなく、姉あるいは叔母とみなす方が自然だろう。

 

 ちなみに、八田宗綱の実父は藤原兼仲(ふじわらのかねなか)だといわれることも。その兄・宗円(弟との説も)が養父とか。宗円の曽祖父が藤原道長(道兼との説も)だったとすれば、知家は藤原北家の流れをくむ名門氏族の子孫ということになる。

 

 一説によれば、この知家の父とされる宗綱、系譜を辿っていけば、さらに驚くべき人物に行き当たるとか。なんと、二条為氏(にじょうためうじ)や西園寺公宗(さいおんじきんむね)などを辿った挙句、東山天皇にまで繋がってしまうというのだ。知家が本当に宗綱の子であったかどうかは明確ではないが、その子である朝綱の孫だったとしても、系譜の辿る先は変わらないだろう。

八田知家が築城した小田城 フォトライブラリー

「頼朝の弟」説は本当か?

 

 さらにもう一つ気になることがある。それが、「知家が頼朝の弟であった」との説である。頼朝の父は、河内源氏6代目棟梁の義朝(よしとも)であるが、知家はその十男だったのではないかと、まことしやかに語られることがあるのだ。ちなみに頼朝はその三男で、生まれたのは1147年。十男とすれば、遥かそれ以降の生まれになるはず。

 

 保元の乱(1156年)の動向を記した『保元物語』を見ると、知家が義朝の陣営に加わったことが明記されているから、頼朝より年下であったというのは無理がある。9歳にも満たない子供が、戦場で功績を挙げたとは思い難いからである。

 

 ただし、なぜ十男とみなされたのかはわからないが、頼朝よりも年上、つまり兄だったとすれば、年齢の面からすれば、あり得ない話ではない。

 

 義朝の長男・義平(よしひら)は1141年生まれで、次男・朝長(ともなが)は1143年生まれ。通説とされるように、知家の生まれを1142年とみなせば、長男・義平の後に生まれた次男として考えられるが、実際にはどうだったのだろうか?

 

 ただし、もし兄だったとすれば、兄を差し置いて、弟である頼朝が源氏の棟梁となっていること自体の説明がつかなくなってしまう。さらには、頼朝が度々知家を叱責したというのも、兄に対する態度とは考えにくい…等々。これらを踏まえてみれば、やはり知家の頼朝兄弟説の可能性は低いと言えそうだ。

 

 いずれにしても、その動向(全成を殺害したこと以外にも、謀略をもって人を陥れたこともあった)を含め、系譜の面でも謎多き人物、それが八田知家なのである。

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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