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謎と疑惑に包まれた阿野全成の謀反【後編】

鎌倉殿の「大粛清」劇⑤

謀反の疑惑により監禁された全成

八田知家
13人合議制のメンバーのひとり。常陸国の大豪族で、頼朝の命を受け配流先で阿野全成を殺害した。国立国会図書館蔵

 正治元年(1199)、源頼朝が死去し、頼家が後継となってすぐに梶原景時(かじわらかげとき)の変が起こる。景時は、多くの有力御家人に弾劾され、頼家にも見捨てられ、滅亡した。この事件に全成が絡んでいたのか否かは不明である。ただ、全成の妻である阿波局が結城朝光(ゆうきともみつ)に景時の讒言(ざんげん)を伝えたことが、事件の発端となったことを考えると、全成が全くの無関係ではないように思われる。阿波局が朝光に伝える前に、全成にも何らかの相談をしていた可能性があるからだ。阿波局は全成の同意もあって、朝光に景時の讒言を伝えたとも考えられる(阿波局の背後には、北条氏の存在があったか)。

 

 景時は頼家の腹心であった。その腹心排斥の契機となったのが、阿波局(その夫・全成)にあるとするならば、頼家の夫婦に対する怒りは深かったに違いない。頼家の怒りは全成に向かうことになる。

 

 数年後の建仁3年(1203)5月19日、全成の身に危険が迫る。謀反の疑いをかけられ、御所に連行され、監禁されたのだ。武田信光(たけだのぶみつ)が全成を捕らえ、その後、宇都宮頼業(うつのみやよりなり)に預けられたという。翌日、源頼家は、比企氏を使者として、母・北条政子に全成を捕縛したことを伝える。

 

「全成が、謀反を企んだので逮捕しました。彼の妻の阿波局が、御所へ出仕しています。早く呼びつけてください。色々と尋ねたいことがあります」と。このことから、全成逮捕には頼家が絡んでいることが分かる。阿波局(政子の妹)の引き渡し要求に対し、政子は何と答えたか。「謀反に関することなど、全成が女に知らせる訳がない。全成からは、2月に駿河国へ行って以来、連絡がありません。よって、これ以上、疑いようがない」と返答したのである。政子は妹・阿波局を差し出すことはなかった。差し出せば、殺される可能性もあったからだ。

 

 それから数日後の5月25日、全成は常陸国に配流となった。それで終わればまだ良かったのだが、翌月23日、『吾妻鏡』には全成の死亡記事が載る。頼家の命令を受けた八田知家(はったともいえ)が下野国において全成を殺したのである。

 

 果たして全成に謀反心などあったのであろうか? 

 

 全成の生涯を見ていたら、そのような大それたことをする人物のようにも思えない。北条氏の意を受けて、裏で暗躍することはあったかもしれないが、自らが前面に出て事を起こす人間には思えないのだ。ただ、全成は、千幡の乳父であり、千幡を将来の将軍にするべく動いていた可能性はある。

 

 2代将軍の頼家からすれば、北条氏にも近く、千幡の側近くにいる全成・阿波局夫婦は邪魔な存在だっただろう。よって「謀反の疑いあり」として、全成を捕え、殺害したのではないか。謀反情報は頼家方のでっち上げの可能性もある。

 

次々と誅殺(ちゅうさつ)される全成の子息たち

 

 全成処刑の翌日、大江能範(おおえよりのり)が上洛しているが、これは全成の子・頼全(らいぜん/3男)を処刑せよとの源頼家の命を源仲章と佐々木定綱に伝えるためであった。7月16日、京都に駐在していた御家人たちは、東山延年寺において、頼全を誅殺することになる。そもそも、なぜ、全成は2代将軍・頼家に命を狙われなければいけなかったのか? 頼家は比企能員(ひきよしかず)の娘・若狭局(わかさのつぼね)を妾(めかけ)とし寵愛、局は一幡(いちまん)という男子を産んでいた。

 

 北条氏は当然、頼家と比企氏の動きを警戒していた(逆もまた然り)ことから、両者(頼家と北条氏)の対立は先鋭化していく。北条氏へ圧力を加える頼家の態度が、阿野全成の逮捕と処刑、全成の妻・阿波局の引き渡し要求、そして全成の息子・頼全の殺害という形で火を噴いたといえよう。頼家は全成らを殺すことにより北条氏に圧力を加えようとしたのだろうが、それがどの程度効果的だったかは疑問である。頼家の末路を考えると、北条氏にそれほどの打撃を与えたようには思われない。

 

 後年、阿波局を更なる悲劇が襲うことになる。建保7年(1219)1月、3代将軍・源実朝が暗殺された直後、4男の阿野時元(ときもと)が駿河国で挙兵したのだ。『吾妻鏡』によると、時元は深い山に城を構え、宣旨(天皇の命令文書)を賜ったと言って挙兵したという。東国支配が目的だと同書にはある。実朝が暗殺された次期将軍の座を狙ったのだろうか。

 

 北条義時は、金窪行親(かなくぼゆきちか)らを駿河に派遣する。時元を討つためである(2月19日)。同月22日、討伐軍は駿河国阿野の、阿野次郎・阿野三郎入道の陣に攻め込む。反乱軍はあっという間に壊滅した。時元軍は敗れ、彼自身も自殺する。阿波局は、弟・義時が派遣した軍勢に我が子を殺されたのだ。阿波局が軍勢派遣に抗議したとの話は伝わっていないが、悲しみは海より深かったに違いない。

 

監修・文/濱田浩一郎

『歴史人』20227月号「源頼朝亡き後の北条義時と13人の御家人」より

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