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水道水が飲めるのは当然じゃない⁉ 安心して飲める日本の「近代水道」のはじまりとは

幕末~明治の偉人が生んだ制度・組織のはじまり⑦


日本人は、「水道水」は飲めて当たり前と思いがちだが、実は世界を見渡しても、水道水が飲めるのはわずか15ヵ国だけといわれる。「水道水」がそのまま飲める背後には、江戸時代から続く偉人たちの功績があった。大都市「江戸」は人口密度でいえば世界一ともいわれ、それは生活インフラや、衛生面での整備が成されていたからこそ。水道もそのひとつで、明治以降の水道は江戸時代に培われた礎のもと、海外の技術を学ぶことで発展したという。その歴史とプロセスをについて、詳しく解説していく。


 

■近代水道の創設

 

 日本ユニセフ協会のHPによると、「世界人口の半数以上が、水道水を使えるようになった今なお、6億6300万人もの人びとが、安心して飲める水が身近になく、池や川、湖、整備されていない井戸などから水を汲んで」おり、「汚れた水を主原因とする下痢で命を落とす乳幼児は、年間30万人、毎日800人以上」にものぼるという。

 

 多くの日本人にとっては実感に乏しい話かもしれないが、そんな余裕のある状況でいられるのも、先人たちの努力と奮闘があればこそ。その概要について、時代を追って解説していきたい。

 

 国際的なレベルで言えば、日本列島ほど良質な水に恵まれた地域は非常に稀で、近代以前の水問題と云えば、日照り続きに起因する農業用水の不足に限られた。

 

 江戸時代について言えば、生活用水は以下のいずれかから入手できた。

 

1.自然(湖・沼・池・河川、湧き水)

2.上水道(用水路)

3.井戸(地下水)

 

 将軍のお膝元である江戸の場合、神田上水、玉川上水、本所上水、青山上水、三田上水、千川上水からなる六つの上水道を通じ、量質とも十分な生活用水が賄われた。

 

玉川上水

江戸時代の「玉川上水」「玉川上水」は承応2年11月15日に完成。江戸の人口増加により水のインフラ整備は急務であった。(国立国会図書館蔵)

 一方の排水は、糞尿(ふんにょう)が肥料として農業に転用されたことを除けば、他はすべて垂れ流し状態だったが、深刻な水質・地質汚染を引き起こすほどではなかったことから、注意が払われず、明治初期まで下水道の整備につながらなかった。

 

■契機となったコレラの大流行

 

 明治5年(1872)2月の大火で焼け野原と化した銀座から築地一帯の街路を再建するに当たり、以前からあった道路両側のドブが、洋風の溝渠に改造されるが、これは衛生行政の観点というより、赤レンガとセメントからなるモダンな銀座通りの景観に合わせた面が大きいいため、日本における近代的な下水溝の第一号とするには当たらない。

 

 第1号と呼ぶに相応しいのは、明治17年から18年にかけ、東京・神田の鍛冶町(かじちょう)などに敷設されたレンガ積みの暗渠(あんきょ)で、「神田下水」とも呼ばれる。

 

「神田下水」建築のきっかけとなったのは、明治10年に起きたコレラの大流行である。これをきっかけに明治政府中枢で衛生行政の必要性が共通認識とされ、下水道の創設はその一環として行なわれたのだった。

 

 最大の功労者は内務省のお雇い外国人であったオランダ人技師のヨハニス・デ・レーケで、彼はこの「神田下水」の他にも、河川の改修や砂防工事に大きな功績を残したことから、「治水の恩人」「近代砂防の祖」と称されるとともに、縁のある各地で様々なモニュメントを築かれ、岐阜県では彼の名を冠した木曽三川交流レガッタも恒例の行事として続いている。

船頭平閘門

船頭平閘門(せんどうひらこうもん)デ・レーケの指導により、木曽川と長良川の分流工事が行われた際、水位差が生じる両河川間の舟運確保のために設けられた水路閘門。建設から1世紀余を経た現在もいまだ現役で稼働している。

 デ・レーケは日本に滞在すること30年余。同時期に上下水道の整備に尽力したお雇い外国人としては、スコットランド出身のウィリアム・バートンの名も挙げておかねばならない。レンガ造り十二階建て、高さ五十二メートルで、関東大震災で破損・解体されるまで日本一の高さを誇り、日本初のエレベーターが設置されたことでも知られる浅草の凌雲閣の設計者でもあるが、本来の専門は衛生工学で、「近代上下水道の父」と称えられる。

凌雲閣

バートンが設計した浅草の凌雲閣明治20年代に高所からの眺めを売り物にした望楼建築がブームとなり、浅草に建てられた12階建ての展望塔。関東大震災で8階から上が倒壊、のちに解体された。(国立国会図書館蔵)

 日本人としては長与専斎(ながよせんさい)や後藤新平(ごとうしんぺい)、中島鋭治(なかじまえいじ)などの名が挙げられるが、彼らの尽力奮闘の甲斐あって、明治23年には水道条例、明治33年には下水道法が制定され、上下水道の全国的な展開が本格化した。

 

 明治から大正、昭和、平成を経て、戦争による中断をはさみながら、上下水道の普及は着々と進められ、令和2年の段階では上水道の普及率は98パーセント、下水道のそれは80パーセントを超えるまでになった。

 

 近年は、飲食用としてミネラルウォーターを選ぶ人も増えているが、検査の頻度と安全基準の厳しさから、世界でもっとも安心して飲める水は日本の水道水とする声もある。その正否はともかく、安心して飲める水の確保に重労働や流血の争いが不要なのは非常にありがたいことだ。飲用水を巡る国際的な衝突が懸念される現在だからこそ、日本における水事情が国際的に見れば当たり前でなく、天然の恵みに加え、先人たちの努力の賜物であるということに、改めて思いを巡らすべきではないか。忘却や無知は、あまりに失礼であろう。

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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