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コロナ対策の起源⁉ 日本の「衛生法」のはじまりはいつ?

幕末~明治の偉人が生んだ制度・組織のはじまり⑤


 2022年度に高校の新教科として、“これまで以上に近代の歴史の教育を深める”ために新設された「歴史総合」の勉強に少しでも役立つため、本稿では「今ある仕組みのはじまり」を解説していく。
 コロナが流行しだし、2年以上が経ち、日本、さらには世界中の衛生意識は高まった。そもそも日本で「衛生」を意識した行政が実施されたのはいつごろだったのか。今回は日本の衛生法のはじまりに迫る。


 

■江戸時代まではなかった? 日本の衛生行政は明治期にはじまる

 

厚生労働省
現在の「衛生法」を管理・運営しているのは厚生労働省。

 

 日本の小学校では新型コロナが発生する以前から、児童生徒に対し、「手洗い」と「うがい」を習慣化させる教育が施されてきた。消毒や殺菌を目的にするなら、「手洗い」と「うがい」は「清潔な水」で行なう必要があるため、現在では日本全国くまなく上下水道がゆきわたっているが、これら近代的な衛生行政の事始めは鉄道や郵便制度と同じく、明治時代前半の文明開化期に求められる。

 

 日本には古くから「祓(はら)い」や「清め」といった概念が存在したが、これらはあくまで、神仏に対するに先立ち、心の浄化を第一とするものであって、物理的な衛生概念とはやや性格を異にする。

 

 日本での、沐浴(もくよく)に由来する入浴の習慣は世界的に見て珍しく、古来より衛生面においてプラスに働いたが、これを唯一の例外として、日本では幕末を迎えるまで特筆すべき衛生行政が行なわれることはなく、衛生行政に関して最初に声を挙げたのは横浜在住の西洋人たちだった。

 

 彼らはそれぞれの本国で、深刻な環境汚染や最新のインフラ整備の効果を体感していたから、日本における衛生行政の欠如を黙止しておくことができず、横浜で発行されていた英字新聞『JMM.』の明治3年(1870年)11月19日号には、多くの日本人が「清潔な習慣を身につけているとは決していえない」として、日本人に向けて、「手洗い」の習慣を身につけるよう呼びかける記事が掲載されている。

 

 同じく横浜在住のイギリス人が発行していた風刺漫画『ジャパン・パンチ』の明治10年(1877)3月号には、横浜駐在の外交官たちが手洗いの習慣化を求め、当地の責任者である神奈川県権令(知事不在の県に置かれた地方官)と交渉したが、不調に終わったとする記事が見える。詳細は不明ながら、漢学と国学の教育しか受けていない役人では、「手洗い」の効能についてどんなに言葉を尽くして説明されたところで、理解が及ばなかったかもしれない。

 

 けれども、同年夏に横浜と長崎の二か所を手始めに、明治時代で最初のコレラの大流行が起きる及び、中央政府は態度を豹変させた。

 

 一刻も早く衛生行政を確立させなければならず、このとき実務面で中心的な役割を果たしたのは、肥前国大村藩医の家に生まれた蘭方医の長与専斎[ながよせんさい](1838~1902年)だった。

 

長与専斎
「衛生」という言葉は、専斎によって作り出された。内務省衛生局の初代局長となり、伝染病予防や上下水道の整備、近代医療制度の確立、医学の普及に尽力。(国立国会図書館蔵)

 

 専斎は当代一流の日本人蘭方医であった緒形洪庵(おがたこうあん)、ついでオランダ人軍医・ポンペのもとで学び、岩倉具視(いわくらともみ)を団長とする遣欧使節団にも随行。途中、一行と分かれて欧米の衛生事情を視察することを許され、帰国後は文部省の医務局長、東京医学校校長などを経て、内務省の衛生局で初代局長の任についた。

 

適塾跡に立つ緒方洪庵像
日本の近代医学の祖と呼ばれ、優れた蘭学者、教育者として知られる。洪庵が主催した適塾には全国から多くの門徒が集まり、なかには福沢諭吉や大村益次郎などがいた。

 

 文部省の管下にあった医務局を内務局に移設させるに当たり、衛生局と改名されたのだが、実はこの命名は専斎による。

 

「衛生」とは中国の古典で、老荘思想の経典とされる『荘子』を出典とし、本来は「生命の全う」を意味する言葉であった。

 

 現在で言う「衛生」とはやや意味が違っているが、文部省から内務省への移設にあたり、試案として出されていた「保険」や「健康」では露骨で面白みに欠ける。そこで専斎が、字面が高雅で、聞き心地もよい「衛生」を提案したところ、これが採用され、思いのほか好評を得た。衛生行政という新たな概念と制度を普及・定着させる上で、「衛生」への新たな意味の付与は、計り知れない効果をもたらしたのである。

 

 専斎の努力が法令名で結実したのは明治13年8月のことで、同月24日には「内務省衛生局報告第五号」として、「コレラ病流行の節各自に注意すべき養生法」および「吐瀉洗浄法」が、同月27日には「内務省乙第七十九号」として「コレラ病予防法心得」が発せられ、これらは「手洗い」も含め、人びとに「不潔」を排除し、かわって「清潔」と「消毒」を求める、当時の日本においては画期的な内容だった。

 

 水際対策の強化など、まだまだ改善すべき点は多かったが、「手洗い」「清潔」「消毒」の3点が法規上に明記されたことの意味は大きく、西南戦争とコレラの流行という二つの国難に見舞われたこの年こそ、日本のおける衛生行政と元年と呼ぶに値しよう。

 

西南戦争
現在、日本史上「最後の内乱」とされる西南戦争。国内を2分し、多くの人を巻き込み、大きな国難として数えられる。(国立国会図書館蔵)

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島崎 晋しまざき すすむ

1963年東京生まれ。立教大学文学部史学科卒業。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て、現在、歴史作家として幅広く活躍中。主な著書に『歴史を操った魔性の女たち』(廣済堂出版)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『仕事に効く! 繰り返す世界史』(総合法令出版)、『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『覇権の歴史を見れば、世界がわかる』(ウェッジ)など多数。

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