×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画

信玄の領国経営 ─「税制」と「信玄堤」の確立─

武田三代栄衰記⑤

棟別銭を元にしつつ徴税法を新しい仕組みに

信玄堤の大聖牛
信玄が草案したと伝わる。三角形に組んだ丸太の底部に、筒状の篭に河川の玉石を詰めた重し「蛇篭」を固定したもの。洪水の流れを緩やかにして堤防や河岸を守る。国立国会図書館蔵

 武田信玄は、家督相続直後から、税制の整備に着手した。武田氏の税制の基盤は、家1軒ごとに賦課される棟別(むなべつ)役である。武田領国のうち、甲斐と信濃には段銭が存在せず、棟別が税制の柱と位置づけられた。

 

 天文11年8月、信玄は甲斐で棟別帳の作成を命じた。棟別帳は、村町ごとに本家(村の中心となる家格を持つ家、土豪や有力百姓層)を調査、登録したもので、武田氏は新家(本家の一族、非血縁の分家も含む)、明家(住人不在の家、潰家)も棟別帳登録対象とし、課税している。

 

 信玄は、棟別帳をもとに、春秋2回の棟別銭(本家100文、新家50文)を賦課、徴収した。また棟別に、人足普請(ふしん)役、点役(臨時課税、竹木や火縄などの現物納)、懸銭(臨時課税で銭納)、伝馬(でんま)役などが賦課された。棟別銭の額は、当時の価値に換算すると、甲州枡2斗入(京枡ならば6斗に相当)の米俵1俵分(2200文)に相当し、高額であった。

 

 この他に、貫高に応じて賦課される田地役(田役)があり、これは田地銭と普請役で構成されていた。段銭のない武田氏が、信玄の時代に新設したものである。信濃にも同様の役があるが、これは諏方大社造営役を継承、整備したもので、成立の事情が異なっているらしい。

 

 信玄は、棟別役と田役を財政の主柱にすえただけでなく免許する特権と引き換えに、村町の有徳人、土豪、有力百姓層を在村被官(軍役衆)として動員することに成功した。棟別役は、税制と軍制および領国統治を同時に実現する三位一体のシステムとして機能したといえるだろう。

 

税制の改革で収入を増やし信玄堤の築造で増産

金山衆
氾濫で甲斐領民を悩ませた釜無川は、元は三路あった。信玄は東流路を中央・西流路に統合し被害を減らした。その後、豊臣時代に中央を西に統合、徳川時代に西流路に括り堤が築造された。

 信玄が整備した棟別役などの税制は、城普請、道普請、堤防普請などの原資となり、武田氏の繁栄を支えた。とりわけ、信玄が行った事業として著名なのが信玄堤の構築である。

 

 甲斐国は、笛吹(ふえふき)川、日川、荒川、釜無(かまなし)川、御勅使(みだい)川などの大河川が甲府盆地を縦横に流れ、頻繁に大洪水を引き起こしていたことで知られる。信玄は、甲府盆地の水害を防ぎ、村町や農地の保護と開発を目指し、釜無川と御勅使川の合流点である竜王(りゅうおう)に、堤防(「川除」「河除」と呼ばれる)を構築することを決めた。当時、釜無川は、御勅使川の急流により、甲府盆地を3筋に分かれて流下しており、とりわけ甲府郊外で荒川と合流して流れる東流路は、甲府盆地中心部に大きな影響を与えていた。

 

 信玄は、弘治年間には、竜王の高岩を起点に、東流路を閉鎖すべく堤防の築造を開始した。これが「龍王之川除」と呼称された信玄堤(しんげんづつみ)である。この堤防は、武田氏滅亡後も延伸事業が続けられ、江戸時代の享保年間に、3流路はすべて現在の釜無川の流路に封じ込められた。そのため、武田氏が築造した信玄堤は「上川除」と呼ばれ、現在の信玄橋より上流に現存する堤防を指し、それ以後のものは「下川除」と呼ばれている。

 

 信玄は、この堤防を常時メンテナンスを行うべく、永禄3年に龍王の信玄堤脇に居住者を募集する朱印状を発給した。もし龍王に家を造り移住すれば、諸役(諸税)をすべて免除するという特権付であった。

 

 こうして甲府盆地の、おもに釜無川流域の各地から移住者が集まり、龍王河原宿(龍王村の起源)が成立した。ここの住人は、堤防に竹木を植えたり、堤防の補強を行ったりすることや、降雨時には釜無川の水位と堤防の状況を監視することが義務づけられた。この他に、武田氏の指示があれば、堤防の竹を伐採し、これを納入することもあった。この竹は、軍需物資として活用されたのだろう。

 

 信玄堤を維持する役割を担ったのは、龍王河原宿だけでなく、釜無川沿いの諸村も、洪水時には決壊した堤防を塞ぐことを命じられていた。これは、信玄堤の恩恵を受ける地域に対し、信玄が受益者負担として担うことを求めたからである。この慣行は、江戸時代にも受け継がれた。

 

監修・文/平山優

『歴史人』12月号「武田三代」より)

KEYWORDS:

過去記事

歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

最新号案内

歴史人2023年7月号

縄文と弥生

最新研究でここまでわかった! 解き明かされていく古代の歴史