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現代まで続く約束事が決められた「知られざるヤルタ会談」の真実

今月の歴史人 Part.5


第2次世界大戦末期の1945年2月、クリミア半島南端の避暑地ヤルタに、米国ルー ズベルト、英国チャーチル、ソ連スターリンら米英ソ首脳が集まり、8日間にわたり話し合った。この時、決定された内容が現代にいたるまで、国際社会に強く影響を残している。今回は、ヤルタ会談でどのようなやり取りがなされたのか、どういう内容となったのかを解説していく。


 

猜疑心から米英の会話を盗聴 地の利得たスターリンの圧勝

 

ソ連・スターリン 大きな紛争を抱えていない日本と戦うことは国益にかなわず、対日参戦には国民への大義名分・南樺太の返還と千島列島の獲得が必要。


アメリカ・ルーズベルト ドイツの無条件降伏と戦勝4ヵ国による占領管理ほか、ナチスの根絶、軍国主義の一掃、国際連合創設後、安保理で拒否権を設ける案も交渉。


イギリス・チャーチル 「米ソが頭越しで決定した。結束を乱したくなかった」と不本意ながらヤルタ体制に署名したとチャーチルはヤルタ会談を釈明している。

 

 ロシアのウクライナ侵略戦争の発端となった2014年のクリミア併合。黒海に突き出した旧ソ連領クリミア半島南端の避暑地ヤルタに第2次大戦末期の1945年2月、ルー ズベルト、チャーチル、スターリンら米英ソ首脳が集まり、8日間にわたり話し合った。

 

 「平和は小国ではなく、大国によって実現される」。スターリンが会談初日に述べると、ルーズベルトが即座に「合意」した。

 

 米英ソが大国支配を固めた結果、ソ連の東欧支配に礎が敷かれ、戦後欧州は、東西陣営に分かれ、その後の半世紀に支配する「ヤルタ体制」が出来上がった。

 

 欧州戦線は、ワルシャワ蜂起を見捨てたソ連軍がポーランドを解放し、ドイツ国境まで進出。米英など連合軍はベルリンを目指しドイツ西部のライン川の西岸を進軍していた。

 

 独戦勝利を目前にした会談は、ドイツの戦後処理とポーランド問題、ソ連の対日参戦、国際連合設立など が討議された。会談は連合国指導者による味方の協議だが、国益をかけて利害が対立する熾烈な戦いの場でもあり、半世紀続いた東西冷戦の萌芽となった。

 

 主導したのは、自国領土で開催したスターリンだった。

 

 チャーチルは71歳、スターリンは66歳。議長役ルーズベルトは63歳と最も若かったが、脳動脈硬化が進んだアルバレス病で、スターリンに押しまくられ、老獪なチャーチルも、対抗できなかった。精魂を尽き果たしたルーズベルトは2カ月後に死去する。

 

【ソ連・ロシア連邦国の主な指導者】

レーニン 1917年に十月革命を成功させ、ロシア・ソビエ ト連邦社会主義共和国を樹立。マルクス主義者として著作を残す。
スターリン ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ派に加わり、行政府である人民委員会議の有力者となり、1922年党書記長に就任。
フルシチョフ 1956年2月のスターリン批判によってその独裁と恐怖政治を暴露し西側陣営と平和共存を図り、軍拡競争を抑制したが失脚。
ブレジネフ 18年間にわたる最高指導者で、ウクライナでの少数民族のロシア人だったが、生涯ウクライナ訛りと風習を保った。
アンドロポフ KGB議長を経験。樺太上空で領空侵犯としてソ連軍機が大韓航空を撃墜する事件を米国のスパイ活動と反論した。
チェルネンコ 1980年のモスクワオリンピックへの西側諸国の不参加を受け1984年ロサンゼルスオリンピックを不参加とした。
ゴルバチョフ ソ連の政治経済のペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)をし、外交では冷戦を終結させたがソ連は終結。
エリツィン ソ連からのロシアの離脱を呼びかけロシアは威信低下、腐敗した縁故資本主義、チェチェン紛争は泥沼化へ。
プーチン 大統領代行に就任後大統領に初当選、2004 年に再選。その後、メドジェーべジェフを挟み2018年再々選。

 

 

賠償として捕虜をソ連に抑留 強制労働を容認した誤り

 

 開催地もトルコ、ギリシャ、イタ リアなどの提案に対して、「対独戦でソ連を離れられない」と主張して黒海の保養地に落着させたスターリンが一枚上手だった。巡洋艦に乗ってマルタ島でチャーチルと待合せ飛行機で共にヤルタに辿り着いたルーズベルトは疲労困憊だった。マルタ島ではチャーチルが統一戦線を張ろうという思惑だったがルーズベルトはスターリンに配慮し米英で結託することはなかった。

 

「地の利」を得たスターリンは、ルーズベルトに最後の皇帝ニコライ2世が過ごしたリバディア宮殿を、チャーチルには、そこから約5㎞離れたボロンツォフ館を当て、自らは、その中間にある怪僧ラスプーチンを暗殺したユスポフ王子のコレイス館に入った。

 

 米英を引き離し、連絡を取り合うことを監視し、連携阻止する深謀遠慮だった。

 

 さらに米英の宿舎に盗聴器を仕掛け、盗聴した米英代表団の会話記録の全てを毎朝、届けさせた。疑心暗鬼を募らせ、猜疑心から同盟国を欺き、ポーランドを「親ソ」政権とし、バルト3国を併合するなど戦後、東欧を「勢力圏」に置いたヤルタはスターリンにとって生涯で得意の極みの舞台となった。

 

 2005年にラトビアのリガで、米国のブッシュ元大統領は、「ヤルタ合意が、中東欧の人々を(共産体制下の)囚われの身とした歴史上最大の誤り。自由を犠牲にし、欧州大陸を分断し不安定にした」と批判している。

 

 さらにヤルタでの誤りはドイツの賠償としてソ連に捕虜を抑留して強制労働を科すことを認めたことだ。これを日本にも適用し日本人捕虜をシベリア抑留した。スターリンは日本人60万人のほかドイツ240万人、ハンガリー50万人もシベリアをはじめとするソ連領内の各地へ連行し、強制奴隷労働させた。

 

 国連設立でもソ連の主張通り、米英ソ中仏の安全保障理事国5常任理事国に拒否権を認めたことが戦後、国連の機能不全を招き、ウクライナ侵攻で常任理事国が国際法を無視して侵略し、民間人虐殺を繰り返す「警察官自身の犯罪」に安保理が無力であることを露呈した。

 

監修・文/岡部伸

『歴史人』6月号沖縄戦とソ連侵攻の真実より)

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