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【ランキング】時代を遡って目撃したい日本の合戦・事件は?


日本の歴史はある意味、合戦や争乱の歴史ともいえます。合戦を節目に新たな覇者や政権が誕生し、社会の仕組みも変遷して来ました。今回のアンケートは、「タイムマシンに乗って、目撃したい日本の合戦・争乱・事件は何か」について集計。408票の投票から、第5位から第1位までを発表します。 <総票:408票  男性:女性=8:2>


滋賀県大津市にある坂本城址公園で琵琶湖を見つめる明智光秀像。第1位は光秀とかかわりが深い戦です。

 

第5位 「川中島の戦い」 投票数:36票 

 

 第5位は36票を集めた「川中島の戦い」。戦国時代、1553年から1564年の12年間にわたって、甲斐国の戦国大名・武田信玄(たけだ・しんげん)と越後国の大名・上杉謙信(うえすぎ・けんしん)が北信濃の支配権を巡っての争いました。

 

 主な戦闘は計5回、そのなかで最も激しい戦いだったのが第4次の「川中島の戦い」です。千曲川と犀川が合流する場所、現在の長野市の川中島で行われ、八幡原(はちまんばら)史跡公園周辺が主戦場になったといわれています。勝敗が決しかねるほどの総力戦が展開され、一説には信玄と謙信の一騎打ちがあったとも。

 

 この戦に1票を投じた人の多くが、「信玄VS謙信の一騎打ちが本当にあったのなら、ぜひとも間近で目撃したい」という望みを抱いています。そして「数回の戦い、それぞれの布陣を知りたい」と勝負がつかない戦の全てを知りたい」という人も多いようです。また、「上杉謙信は、信玄に本当に”塩を送ったのか”が気になる」といった声もありました。

 

 

第4位 「大坂冬の陣・夏の陣」  投票数:42

 

 第4位は、徳川家康(とくがわ・いえやす)が大坂城を拠点とする豊臣家を滅ぼした戦い「大坂 冬の陣・夏の陣」で42票。1614年の戦いを「大坂 冬の陣」、1615年に再開された戦いを「大坂 夏の陣」と呼んでいます。

 

 1600年の関ヶ原の戦いから15年が過ぎ、徳川家康と幼かった豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)の息子・秀頼(ひでより)とその母・淀(よど)殿の間で徐々に溝が広がり、亀裂は埋まることなく遂には「大坂の陣」で激突することになったのです。

 

 家康率いる幕府軍の兵数は、夏の陣で約20万、豊臣軍は約9万。また冬の陣では幕府軍約16万5000、豊臣軍約5万5000と圧倒的な差がありました。最終的に家康がこの戦を制しますが、赤く塗られた鎧を纏った赤備隊を率いる真田幸村は、家康に一時は自害を覚悟させるほどの戦を展開し、一矢を報います。

 

 しかし遂には幸村も討ち取られ、秀頼と淀殿は自害。豊臣家は完全に滅亡しました。

 

 この戦いを見たいと票を投じた人たちは、口々に「戦のなかでもドラマがある。大河ドラマ『真田丸』が作られたこともうなずける」と感想を綴っています。ほかにも「豊臣家から徳川家へと覇者が変わることになった節目の戦い。日本の都も西から東へと移り、政治的にも文化的にも変化していくことになったと思う」などといった意見もありました。

 

 

第3位 「桶狭間の戦い」  投票数:48票 

 

  第3位は、「大坂夏の陣・冬の陣」に6票差をつけた「桶狭間の戦い」で48票を集めました。1560年に尾張国、現在の愛知県の桶狭間で、尾張を治めていた織田信長(おだ・のぶなが)と駿河・遠江・三河の領主・今川義元(いまがわ・よしもと)の間で繰り広げられた戦いです。義元は討死し、信長はこの勝利をきっかけに天下統一へと向かうことになりました。

 

 弱冠27歳の織田信長はわずか約4000人の兵で、約2万5000人の兵を率いる今川義元に勝利。この歴史的な戦さの記録は、信長の家臣・大田牛一(おおた・ぎゅういち)が『信長公記』に残しており、様々な熱いドラマが今に伝わっています。

 

 圧倒的な兵力の差にもかかわらず勝利した織田勢。「信長の迂回奇襲策はどんな風に行われたのか? それとも、これはフィクションで、実際には正面攻撃が敢行されたのか?」など、気になる多くの謎があるようです。「数の上では圧倒的に劣勢だった信長の勝因の秘密を知りたい」と信長の作戦に興味を持つ人も多くいました。そして、「今川義元は本当に油断したのか?」「豪雨の後、信長軍を目にした義元の様子が知りたい」など義元の心情を推し量るコメントもありました。

 

 

第2位 「関ヶ原の戦い 投票数:81

 

 第2位は、3位に30票以上の差をつけて「関ヶ原の戦い」。秀吉亡き後、政治の実権を誰が握るのか……。1600年、岐阜県関ヶ原町で戦は行われ、徳川家康率いる東軍と石田三成(いしだ・みつなり)率いる西軍が激突しました。全国の有力な大名が真っ二つに割れ、「天下分け目の戦い」といわれました。

 

 一時は三成の西軍が優位に戦いを進めましたが、小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)が寝返ったことで戦況は一変。結局、家康の東軍が大勝利を収めました。これをきっかけに家康は1603年、征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。

 

 この戦いを見たいと考える人たちからは、「何と言っても史上最大規模の戦い。どれほどの乱戦だったのかを間近で見て、スケールの大きさを体感したい」「戦国のオールスターが勢揃い。歴史ファンにとっては何とも贅沢な戦」「歴史の転換点の目撃者になりたい!」と熱い声が寄せられました。また、「家康の采配ぶりを東軍陣営のなかで体験したい」「裏切った小早川の陣から、この戦を眺めたい」といった要望もありました。

 

 

第1位 「本能寺の変」 投票数:129

 

 そして第1位は、2位を50票近く引き離して「本能寺の変」。1582年6月2日の早朝、京都の本能寺に滞在していた織田信長は、家臣・明智光秀(あけち・みつひで)に襲撃されます。少数の手勢で抵抗するも虚しく、信長は天下統一を目前にしながら、火を放って自害しました。この謀反は、日本史上で最も有名な事件かもしれません。

 

  票を投じた人の多くが「なぜ光秀は主君・信長を討ったのかを尋ねたい」「信長は本当に、本能寺で焼死したのか?」という理由を挙げています。歴史好きは皆、現場にいて自らの手で、この日本史最大の謎を解き明かしたいという思いを抱いているようです。そして、「カリスマ武将の最期を、この目で見たい!」「黒幕がいるのか? それは誰なのか? 真実を知りたい」と熱い声が寄せられました。

 

 

 

(アンケート…メールとハガキで集計。総票数:408票)

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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連合艦隊の真実

世界の列強と互角の軍事力を有するため、日本海軍が明治27年に設立した「連合艦隊」は、優れた機動力と策略で、清国やロシアを圧倒する。しかし「大艦の時代」から「航空機の時代」へ移り変わるなかで、その威容は徐々に衰えを見せ始める。かつて世界有数の軍事力を誇りながら、太平洋戦争で最期を迎えた連合艦隊の軌跡を追う。