【『歴史人』2022年6月号案内】「沖縄戦とソ連侵攻の真実」5月6日発売!
[沖縄復帰50年]繰り返さないために、いま語り継ぐべきこと
『歴史人』2022年6月号(5月6日発売)の特集は──
[沖縄復帰50年]繰り返さないために、いま語り継ぐべきこと
『沖縄戦とソ連侵攻の真実』
沖縄復帰50年記念企画「沖縄戦とソ連侵攻の真実」。激戦の沖縄で何が起こったのか? そして突然のソ連侵攻の真相に迫る! 太平洋戦争最大の民間犠牲15万人・沖縄戦の真実、硫黄島の戦い、戦艦大和沈没の真実、電撃のソ連の対日宣戦布告、ソ連の満州・樺太侵攻などの詳細を語り継ぐべく、徹底解説していく。
[保存版特集]
[沖縄復帰50年]繰り返さないために、いま語り継ぐべきこと
『沖縄戦とソ連侵攻の真実』
[大特集①]
沖縄戦と本土決戦
■沖縄戦の真実
■沖縄戦への道
■硫黄島の戦いの真相
■太平洋戦争最後の死闘 沖縄戦
■特攻作戦の秘史
■戦艦大和 最期の出撃
■幻の本土決戦
■降伏への21日間ドキュメント
[大特集②]
終戦間際のソ連の対日電撃参戦
■スターリンの野望とソ連不法侵攻の狙いとは?
■スターリンの実像とヤルタ会談
■ソ連軍「満洲」に侵攻せり
■樺太侵攻と虚を突かれた日本軍
■日本の東西分割を阻止した「占守島の戦い」
■あらためて知りたい「東京裁判」12の疑問
■[特別対談]垣根涼介×大森雅夫
時代の先駆者としての〝宇喜多直家〟
……etc
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<内容紹介>
[大特集①]
戦史、戦術、外交、人物から太平洋戦争末期の日米両軍の死闘に迫る!
沖縄戦と本土決戦
太平洋戦争開戦からおよそ3年4ヵ月が経過した昭和20年(1945)4月。戦争終結のため日本本土上陸を目指す米軍と、これを阻止する日本軍の間で沖縄戦が勃発した。戦いの背景、戦闘経過、日米両軍の戦略・戦術、主要指揮官の動向を徹底解明! 回避された日本本土決戦をめぐる詳細な戦闘計画もふまえ、太平洋戦争末期に行われた日米両軍の死闘の全貌を明らかにしていく。
軍人、民間人合わせて約20万人が犠牲になった悲劇の戦いはなぜ起きてしまったのか?
沖縄戦の真実
レイテ沖海の敗北、硫黄島の玉砕により、日本本土を防衛する最後の拠点となった沖縄。昭和20年3月末からはじまった戦いは、上陸戦、市街戦、陣地戦、掃討戦などありとあらゆる死闘が2ヵ月間あまり続き、両軍の兵士だけでなく多くの民間人が巻き込まれ悲惨な戦いとなった。ここでは沖縄戦勃発の要因、戦いの経過、悲劇の実態をわかりやく解明する。
日米の歴史的な激戦はなぜ行われたのか?
硫黄島の戦いの真相
東京までの直線距離はおよそ1200キロ。硫黄島はまさに日本本土を目前にした最後の絶対国防圏であった。攻撃側であるアメリカ軍の死傷者が劣勢だった日本軍のそれを上回った稀にみる戦いの実像と、智将・栗林中将が編み出した鉄壁の防御線戦術をここに考察する。
沖縄は本土防衛の最後の砦だったのか?
太平洋戦争最後の死闘 沖縄戦
硫黄島玉砕からわずか1ヵ月半後、米軍は日本本土の最後の防御拠点沖縄に上陸を開始した。追い詰められた日本軍は限られた兵力で米軍部隊を迎撃。島民を巻き込んだ悲劇の戦いの幕が切って落とされた。
なぜ無謀な策が誕生したのか? どうして止められなかったのか?
特攻作戦の秘史
死ぬことを覚悟して体当たりする──。特攻は、太平洋戦争当時でさえ異様な作戦だった。なぜ、こんな無謀な行為が実行に移されたのか? 背景にあった思想は? 何人が犠牲となったのか?
沖縄特攻に向かった世界最強戦艦撃沈の謎が、いま解けた!
戦艦大和 最期の出撃
日本人ならその名を聞いたことが一度はあるはずの戦艦「大和」は、沖縄戦に向かう途中、鹿児島県の坊ノ岬沖に沈んだ。そもそも反対意見もあった出撃だったこと、日程や予定航路などを、米軍に丸裸にされていたことなど、撃沈の真相を詳しく解説!
ダウンフォール作戦VS決号作戦
日米の作戦図から読み解く
幻の本土決戦
実行に移されれば、ノルマンディー上陸作戦を超える規模となった日本本土進攻計画が存在した。〝ダウンフォール〟=殲滅の名を冠したこの作戦は、九州上陸を狙った「オリンピック作戦」、関東上陸を狙った「コロネット作戦」の2つを根幹として構成された作戦である。対する日本軍は、度重なる戦線の後退、連日に及ぶ本土への空襲など、疲弊の極みにあった。
ポツダム宣言黙殺から原爆、ソ連参戦、御聖断までを徹底追跡
太平洋戦争最後の3週間
大日本帝国 降伏への21日間ドキュメント
大日本帝国が本土防衛と戦争継続のため不可欠とされた絶対防衛圏が崩壊。B-29は、当時の日本軍機や高射砲では迎撃の難しい高度を飛び、投下した焼夷弾は一度空中で炸裂し、72もの焼夷弾筒に分解されて本土を焼いた。そんな中、ポツダム宣言が出される。その後、どのような経緯で終結を見たのか?
[大特集②]
日ソ中立条約、ヤルタ会談、満洲侵攻、樺太・占守島の日本軍の死闘
終戦間際のソ連の対日電撃参戦
太平洋戦争の末期の1945年8月8日──。
ソ連が突如、日本に宣戦を布告した。これは日ソ両国の間で相互の領土保全と不可侵を約束していた日ソ中立条約を一方的に破棄するソ連の不法行為であった。アメリカ軍との戦いで疲弊しきっていた日本軍を尻目に、ソ連軍は満洲を足掛かりに、樺太、千島列島を我がものとせんと、猛進してきたのだった……。
隣国からの突如の侵略は独裁政治の暴挙⁉
スターリンの野望とソ連不法侵攻の狙いとは?
ロシアのウクライナ侵攻とソ連の対日参戦は似ている─。「ソ連が対日戦参戦」。1945年8月9日未明の報は日本にとって〝青天の霹靂〟だった。領土保全・国境不可侵を約束していたソ連の一方的な約束反故行動である。これはロシアによるウクライナ侵攻と同じ構図だ。狂気とも取れる軍事行動の裏にはどのようなソ連の狙いと野望があったのか、日ソ関係の歴史とともにひもといていく。
満洲侵攻と樺太・千鳥・北海道占領のため参戦!
スターリンの実像とヤルタ会談
ソビエト連邦防衛のため、領土的野心を持っていたスターリン。現在のサミットの先駆けとなる会談がクリミア半島のヤルタで行われた。潜入させたソ連側スパイによるルーズベルトの誘導、そして米ソの密約。独裁者は条約を破棄し参戦することを了承したのであった。
満洲侵攻 不利な兵力・兵器の中、日本軍は果敢に決戦を挑む!
傀儡国家に進攻したソ連軍との激闘の1週間
ソ連軍「満洲」に侵攻せり
昭和20年8月9日、突如満洲への侵攻を開始したソ連軍。独ソ戦の時のような戦車・機械化部隊が中心とは言えないがソ連軍は圧倒的な物量で侵攻。この日のために軍備を備えていたはずの関東軍は一部で抵抗を見せるが、崩れていった。激闘とその内実に迫る。
樺太侵攻 兵力約4倍のソ連軍第2極東方面軍団が北緯50度線を越境
満洲侵攻に続く2段階作戦の侵攻を受けた日本軍の実態
樺太侵攻と虚を突かれた日本軍
米軍によるアリューシャン方面への攻撃を予想していた日本軍は、千島防衛に重点を置いていたため、樺太には戦車も戦闘機も配備していなかった。その虚をついたソ連軍第2極東方面軍は南樺太に進軍を開始する。
占守島の戦い終戦後の悲劇! ソ連は不法侵攻の手を止めず、日本の北端に来襲!
日本の東西分割を阻止した「占守島の戦い」
戦争は終わった──。8月15日正午の玉音放送を聞いた国民はそう思った。しかし……北方での戦火はおさまらなかった。千島列島の先端・占守島にソ連が来襲したのだ。故郷へ帰り、家族と過ごす日々を夢見た日本兵たちは終戦後の日本分断を阻止すべく、再び戦場へと赴く。終戦後も武器を取り、日本のため戦った男たちの誇りに迫る!
被告・裁判官・開廷理由・判決etc.
あらためて知りたい「東京裁判」12の疑問
東京裁判(極東国際軍事裁判)は、起訴対象者の多さや、A・B・C級という独自の容疑設定などの影響で、その全容が把握しづらい。元来の開廷理由や、裁判官の選出プロセスなど、裁判にまつわる疑問を一問一答で解説していく。
[特別対談]垣根涼介×大森雅夫
時代の先駆者としての〝宇喜多直家〟
─商人と一体となったまちづくり─
戦国時代屈指の「梟雄」「悪人武将」と見られがちだった宇喜多直家。そうした通俗的な直家の人物像に一石を投じた小説『涅槃』の作者・垣根涼介氏が、直家の故郷・岡山市の市長・大森雅夫氏と対談。改めてその人物像の真相に迫り、そして宇喜多直家が生きた岡山への思いをふたりが語る。
……etc