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シャーマンとしての卑弥呼は具体的にどのような役割を担ったのか?


古代史を代表する人物でありながら、いまなお神秘のヴェールに包まれている「卑弥呼」。邪馬台国の女王である一方で、祭祀を司るシャーマン(呪術師)であったとされているが、具体的にはどのような役割を担っていたのだろうか?


卑弥呼が行った「鬼道」は先祖を祀る祭祀の意

熊本県熊本市南区の塚原古墳公園にある、古代の儀式を模した石像群。舞う巫女を中心として、紀元4世紀から6世紀頃の人々の祭りの様子を表現している。

『魏志倭人伝』に、倭国の祭祀(さいし)に関する2点の興味深い記事が見える。そのひとつは、卑弥呼が「鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆(しゅう)を惑わす」と記載したものだ。

 

 もうひとつは、倭人は何かあると、「骨を灼(や)きて卜(ぼく)し、以(も)って吉凶(きっきょう)を占う」という記述になる。中国では、古くは亀の甲羅や骨を焼いてそのひび割れで吉凶を知ることを「卜(ぼく)」、筮(ぜい)竹(ちく)を使う占いを「占(せん)」といった。

 

 中国の殷(いん)代(紀元前14〜11世紀)に広く行なわれた骨卜(こつぼく)が、形式を変えながら朝鮮半島経由で日本列島に広まっていたのであろう。そして日本各地で、その地方特有の形式をとる骨卜がつくられていたとみられる。

 

 卑弥呼が行なった鬼道は、祖先の祭祀であったと考えてよい。邪馬台国のあった弥生時代には、各地の集落単位で祖先の祭祀が行なわれていた。それは縄文時代に墓前でなされた祀りの流れを引くものと考えてよいが、弥生時代には祖先の霊魂は稲作を助ける農耕神ともされた。

 

 農耕神は、土地を守る国魂神(くにたまのかみ)として祀られた。そして古代の人々は、農地は個人の持ち物ではなく国魂の治める大地の一部だとしていた。

 

 中国には、死者の魂を「鬼(き)」と呼んで恐れる習俗がみられた。そのため倭国に来て、「卑弥呼が祖先の霊を祀っている」と聞いた中国の使者が、彼女の祭祀を「鬼道」の語で表わしたのであろう。

 

 また、卑弥呼が「衆を惑わす」という表現から、彼女が祖霊のお告げを人々に伝えていたありさまがうかがえる。部外者である中国の使者の目には、彼女の行為が人々を惑わすものと映ったのであろう。

 

『古事記』などに、巫女を中心に行なわれた弥生時代の農耕神の祭祀のありさまをうかがわせる神話がみえる。それは天岩戸(あまのいわと)に隠れた太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)を呼び戻すために神々が行なった祀りの形をとったものだ。

 

 その祭祀では、最初に鹿の骨を焼く卜占(ぼくせん)が行なわれた。そして卜(うらな)いの結果に従って、天岩戸の前に勾玉(まがたま)と銅鏡、布製の紙垂(しで/美しく切ったもの)をかけた榊(さかき)の木を供えた。

 

 これに続いて、巫女の役目を務める天鈿女命(あめのうずめのみこと)という美しい娘が、岩戸の前で舞いを始めた。そして舞いが最高潮(クライマックス)に達したときに、天岩戸の中から天照大神が姿を見せたという。

 

 弥生時代の各地の遺跡から、銅鏡・銅剣・銅矛などが多く出土した。その他に、祭祀用の玉類や多様な形の土器が見つかっている。

 

 玉類は魔除けの呪物で、高杯(たかつき/台付きの深皿)、皿などは供え物を盛る器(うつわ)に使われた。祭祀のあと、祭祀用の土器は穴を掘って埋められたらしい。穴の中から大量の土器が出土した例がいくつかある。

 

 焼け焦げた骨卜用の骨も、各地の弥生時代の遺跡から出土している。考古資料を通じて、酒とご馳走を神に供えるとともに参加者がそれと同じ物をいただくという弥生時代の祭祀の姿が明らかになってきたのだ。

 

邪馬台国が信仰した祖霊は土地と農耕を守る神

 

 巫女を務めた卑弥呼は、先祖の霊魂つまり祖霊(それい)を祀って、そのお告げを聞くことを通じて人々を導いていた。このような現象からいえば、卑弥呼自身が「神の子孫」としてふるまい、人々も彼女を「神の子孫」として敬っていたことになる。

 

 弥生時代には、祖霊信仰が広くみられた。人々の先祖の霊をまとめて、祖霊の神として信仰するものである。農耕が始まったあと、弥生人は農地を拓いた先祖に感謝する気持ちから、祖霊の祭祀を始めた。

 

 祖霊の集団が、雨風や動植物の繁殖などあらゆる自然現象をつかさどる多くの精霊を指導して自分たちを守ってくれると考えられたためだ。そのため、祖霊の神は土地の守り神とも、農耕神ともされた。

 

 古い時代の人々は、「私の家の先祖」という観念を持たなかった。ひとつの地域の住民が、みんなの祖先を祀ったのだ。

 

 奈良県十津川村(とつかわむら)の総氏神・玉置(たまき)神社のそばに、ひとつの地域のすべての住民の先祖を祀る祖霊社がある。竹筒(たけとう)神社である。

 

 竹筒神社のようなひとつの地域の祖霊社には、前の年に亡くなった者の霊魂を合祀する神事があり、玉置神社と竹筒神社の宮司のもとで行なわれる。このような祖霊社は、弥生時代の祖霊信仰の流れを引くものと評価できる。

 

 しかし、弥生時代の中期後半あたりから、人々は卑弥呼のような小国の指導者に感謝して、自分たちを導いた豪族を、銅鏡などの祭器を納めた特別な墓に葬るようになった。

 

監修・文/武光誠

『歴史人』4月号「古代史の謎」より)

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