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歴史のなかで古墳はどのように失われていったのか?

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #051


古墳は全国に大小合わせて16万基以上現存するとされており、現代のコンビニエンスストア全店の数よりも多いといわれる。しかし、長い歴史の中で数多くの古墳がさまざまな理由で失われている。今回は失われた古墳について考察する。


 

「荒墓(あらはか)」の地に造営されたと伝わる四天王寺

筆者がマーカーした大塚山古墳前方部の痕跡区域(堺市大塚山古墳跡地) GoogleMapより加工作成/柏木宏之

 現代では古墳を重要な遺産として各地で管理していますが、昭和の経済発展著しい時代には、古墳を崩して住宅地にしてしまうようなことが行われました。

 

 もちろん真摯に工事を止めて事前調査を行った古墳もありますが、調査がされずに永遠に失われた古墳もあります。

 

 しかしそれは20世紀に始まった事ではなく、遠く飛鳥時代や奈良時代にもあったようです。大阪のど真ん中、上町台地の南端にある四天王寺は「荒墓(あらはか)」の地に造営されたと記録にあります。

 

 また、八世蓮如(れんにょ)が上町台地の北端に本願寺を建立した時もそのあたりを「石山」と呼んでいます。おそらく大阪の上町台地上には、葺石に覆われた古墳がいくつかあったのだろうと考えられます。

 

 掘ると石がたくさん出てくるこんもりした小山があったのでしょう。すでに荒れ果てた古墳があったのかもしれません。実際に四天王寺では今も石棺材が展示され、石材としても再利用されています。

 

 また元明(げんめい)天皇のときに遷都した奈良の都にも古墳があったと記録されています。元明天皇は詔で「古代の尊い墓は、丁寧に移築せよ」と言っています。どこに移築されたのかは記録がありませんが、平城宮跡のすぐ北側にある佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)にその一部があるのだろうと私は考えています。

 

 古墳は鎌倉時代になって国営の墓守制度が無くなると、すぐに盗掘が始まり荒れていきます。

ほとんどの古墳がその被害にあっていて、高松塚古墳もキトラ古墳も天武持統合葬陵もどこもかしこも盗掘されています。

 

奈良市北西部、奈良丘陵の南西斜面の佐保川西岸・佐紀の地は移築古墳か? GoogleMapより加工作成/柏木宏之

戦国時代には砦に利用され、昭和の大戦を経て宅地造成されるケースも

 

 戦国時代になると、小高い墳丘は砦に利用されます。上面を平らにするので、石室などは破壊され、その高級な石材は石垣などに利用されます。

 

 さらに昭和の戦争中には、高射砲陣地に使われた古墳もあります。

 

 そして最初にお話したように、戦後の経済発展期には宅地造成のために古墳は姿を消していったのです。前方後円墳をまっ平にした住宅街では、後円部の丸みや墳型がそのまま生活道路や地形として痕跡を残していたりもします。

 

 私は、そんな過去の古墳破壊を責めているのではありません。古墳に限らず、歴史的文化財といえども完成したその瞬間から劣化が始まり、やがて失われる運命にあるのです。巨大な古墳も、その規模と立地によっては後世に破壊されることもあったのです。

 

 

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から現在も毎日放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在、アナウンサーを続けながら武庫川学院文学部非常勤講師、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。奈良大学卒論は「日本列島における時刻の掌握と報知の変遷」

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