M4シャーマンを撃破できる対戦車自走砲として誕生:三式砲戦車(ホニIII)
日本戦車列伝 第11回 ~国産戦車の開発と運用の足跡を辿る~
まるでドイツ軍駆逐戦車を彷彿とさせる三式砲戦車(ホニIII)。米軍主力戦車M4との戦闘を想定して開発された対戦車自走砲の実像を解き明かす。

前方から見た三式砲戦車。三式中戦車と同じくM4の撃破が可能な車両だっただけに、海を渡る輸送が困難で主戦場となった太平洋島嶼部に送れなかったのは残念といえる。
口径75mmの九〇式野砲を砲架ごと載せた一式七糎半(ななせんちはん)自走砲ホニIは、当初は自走野砲として開発された。しかしアメリカのM3ジェネラル・リー/グラント、M4ジェネラル・シャーマンの両中戦車が出現すると、当時の日本陸軍の主力戦車で、47mm砲搭載の九七式中戦車や一式中戦車では、火力が弱く苦戦を強いられてしまうようになる。
ところが九〇式野砲は、M3、M4の両戦車を撃破可能な威力を備えていた。そのため、同胞を搭載した一式七糎半自走砲は砲兵が運用する自走野砲ではあるものの、戦車を火力で支援するために機甲兵が運用する砲戦車としても使用できるという観点から、「一式砲戦車」の通称でも呼ばれた。
そして、一式七糎半自走砲の好評を受けて、完全に砲戦車となった車両が開発されることになった。
まず、搭載する砲は九〇式野砲に生産性の向上や強度面などで改良を加えた三式七糎半戦車砲へと変更された。
さらに、一式七糎半自走砲では砲座の正面と両側面にしか装甲板が備えられていなかったが、この新型砲戦車では天井も含めた全周が装甲板で覆われ、一見では砲塔のようにも見えるものの、旋回能力は全くない固定戦闘室となっている。ただし装甲厚は、小銃弾や弾片に耐える程度の薄いものだった。
そして車体には、一式七糎半自走砲と同じく九七式中戦車ものが流用されたが、車体左前面に装備されていた車体銃は廃されていた。
この新型砲戦車の開発は1943年に開始され、三式砲戦車(ホニIII)として制式化。1944年から量産が開始された。生産総数は、60両とも100両とも伝えられるが異説もある。
長年生産され、機械的信頼性が高い九七式中戦車の車体に、密閉型固定戦闘室と75mm砲を備えた三式砲戦車は、三式中戦車同様にM4中戦車を撃破可能な戦闘車両であった。しかし、逼迫した戦局により輸送中に海没されかねないためあえて外地に送り出されることはなく、本土決戦に向けて国内に備蓄された。
そして三式中戦車を攻勢の、また、三式砲戦車を防勢の主力とする運用構想なども発案されていたが、結局、本土決戦は起こらなかったため、本車も実戦を経験することはなかった。だが、もしM4と砲火を交えていれば、砲戦車の弱装甲を補う待ち伏せなどを駆使して、相応の戦果を得ていたことだろう。