八九式中戦車の後継として太平洋戦争で激闘:九七式中戦車(チハ)
日本戦車列伝 第4回 ~国産戦車の開発と運用の足跡を辿る~
日本軍戦車の中では貴重な「対戦車戦」能力を備えていた九七式中戦車(チハ)。太平洋戦争では米軍M4と戦車戦も交えるなど主力戦車として活躍。その開発の経緯とは?

日の丸を掲げながら進撃中の九七式中戦車新砲塔チハ。1944年12月の一号作戦(大陸打通作戦)における戦車第3師団所属車。日本の戦車部隊は戦闘の中心となる戦車兵が勇猛果敢なことはもちろん、これを支える整備部隊もきわめて優秀だった。
太平洋戦争開戦前の日本陸軍は、中戦車の主任務を「歩兵の支援」第一としていた。そして八九式中戦車を開発し、大陸で実戦に投入。概ね陸軍の意図に即した戦車として好評を得た。
この八九式中戦車の後継となる戦車の開発が進められるに際しては、同車と同じ口径で、同等の榴弾威力を備えた九七式57mm戦車砲が開発され、搭載されることになった。つまり、装甲を貫徹する徹甲弾を高初速で撃ち出す対戦車戦闘を重視した対戦車砲系の砲ではなく、榴弾の炸薬量が多くなるように口径がやや大きい代わりに初速が遅い、味方の歩兵に対する火力支援を重視した榴弾砲系の砲が選ばれたのである。
エンジンには、八九式中戦車乙型から搭載された空冷式ディーゼル・エンジンが選ばれたが、もちろん型式は異なるもの(三菱SA12200VD空冷V型12気筒)が搭載された。引火すると爆発的に燃え上がるガソリンとは異なり、ディーゼル・エンジンが用いる軽油は、ガソリンよりも引火しにくく、もし火がついても、爆発的な燃焼ではなくメラメラと燃える。
特に実戦では、ガソリン使用車では燃料タンクに被弾して爆発的な火災を起こすと、被弾による一次被害で唖然混乱している最中に、追い打ちをかけるように火災による二次被害を蒙ることになる。だが軽油なら、よしんば火がついても爆発的な火災とはならず、しかも徐々に燃え上がるので、一次被害での負傷者が逃げ遅れてさらに火傷を負ったり、救出が間に合わず火傷が直接の死因となる事態を低減することができた。
しかも日本の戦車兵は、総じてきわめて優秀で闘志に溢れていたため、たとえ自車が被弾しても、燃料が軽油のおかげで火災が起こらなかったり延焼が遅かったりすると、戦い続けるケースも少なくなかった。
さて、太平洋戦争が勃発してアメリカ製戦車と対峙すると、当時最新の主力戦車だった九七式中戦車の57mm戦車砲の威力不足が問題となった。そこで、口径は47mmと小さいものの、高初速で徹甲弾を撃ち出せる一式47mm戦車砲を新型の砲塔に搭載。従来の車体にこの新型砲塔を結合した九七式中戦車 新砲塔チハが登場した。そして運用を工夫することで、M4シャーマン中戦車にほとんど歯が立たなかった57mm戦車砲搭載型とは異なり、多少分は悪かったが、そこそこに戦えるようになった。
結局、九七式中戦車シリーズは日本陸軍の主力戦車として、アメリカ製戦車に性能で劣る点を、戦車兵の果敢な戦意で補って戦い抜いたのである。