九七式軽装甲車をベースにして開発された兵員物資輸送車:九八式装甲運搬車(ソダ)
日本戦車列伝 第10回 ~国産戦車の開発と運用の足跡を辿る~
キャタピラで走る装甲された運搬牽引車であった九八式装甲運搬車(ソダ)。武装がない異形の戦車はなぜ生まれたのか? その開発史を解き明かす。

真横から見た九八式装甲運搬車。右が車体前部でエンジンが搭載されているため、フェンダー上に防護金網が被せられた排気管が見える。ご覧のように砲塔はなく、固有の武装は有さない。
九四式軽装甲車は、戦闘車両としてのみならず運搬牽引車としての利用も考慮されていたため、専用のトレーラーも同時に開発されていた。しかし実車が完成してみると、当時の軽戦車としてはあまりに優秀だったため、運搬牽引車として使われることは稀だった。
このような実情に基づいて、最初から軽戦車として開発されたのが九七式軽装甲車だが、同車が配備されたからといって、前作の九四式軽装甲車が、運搬牽引車として使われる機会が増えるということはなかった。
そこで陸軍は、砲塔が載せられた戦車型の車両ではなく、キャタピラで走る装甲されたトラックともいうべき、荷台を備えた純粋な装軌式の装甲運搬牽引車を開発することにした。
この新しい装甲運搬牽引車は、九四式軽装甲車や九七式軽装甲車のように砲塔は備えず、車体後部に荷台を設けることとされた。そして開発時間の短縮も兼ねて、九七式軽装甲車がベースとされた。というのも、同車の試作時に提案された車体前部の操縦席の右側にエンジンを配するデザインが、車体後部に荷台を設けるには最適と考えられたからだ。
実はこのデザインは、砲塔を備えて密閉性が高い九七式軽装甲車では、エンジンの熱がこもって乗員の負担が大きいことに加えて、操縦手の隣のエンジンが邪魔で車長と操縦手のコミュニケーションが上手くいかないことが問題視され、不採用となったものだった。しかし、車体後部が荷台で開放されている新型の装甲運搬牽引車では、これらの点はさほど問題とはならなかったという。
また、車体後端には牽引用フックが取り付けられており、一式機動47mm速射砲(対戦車砲)の牽引車としても利用することができた。
こうして完成した新型の装甲運搬牽引車は、約1tの貨物を積載することができ、1938年に九八式装甲運搬車として制式化された。本車は、世界の装甲運搬車と比べても遜色のない優れた車両だった。しかしいくら優秀車といえども、肝心の戦車の量産すら思い通りに進まない日本では、本車を必要な数だけ供給することなど不可能で、その活躍の場は限られてしまった。