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最新兵器である後装式「スナイドル銃」は、なぜ戊辰戦争で普及しなかったのか?

戊辰戦争と小銃 第5回「スナイドル銃」


薬莢(やっきょう)を使った弾丸・装薬(そうやく)・雷管(らいかん)が一体となった弾薬筒が19世紀に発明され、スナイドル銃に代表される後装銃が製造される。だが、ある理由から一世代前の前装式ライフル銃を一掃できなった。


スナイドル銃は前装式ライフル銃であるエンフィールド銃を低コストで後装式に改良したもの。使用済みの薬莢は銃本体を裏返して排出した。スナイドル銃/板橋区立郷土資料館蔵

 突然だが、薬莢を見たことがあるだろうか。新品の口紅のような形をした金属と思っている人がいるかもしれないが、あれは弾薬筒という。

 

 先端の尖った部分が弾で、薬莢はその後ろの部分を指す。口紅に例えれば口紅本体が弾で、薬莢は容器部分だ。金属やプラスチックなどで造られた円筒形の容器の中には火薬が詰められている。

 

 使用済みの薬莢を見てみると中は空洞で、底の外側部分の真ん中が少しへこんでいるが、ここを叩いて火薬を爆発させたのだ。この部分の内側には強いショックを受けると爆発する起爆剤が雷管と呼ばれる容器に仕込んである。起爆剤が薬莢内の火薬の爆発を誘発し、その勢いで弾が発射される仕組みになっている。

 

 19世紀の初めに弾薬筒を使った弾丸が発明されると、それを利用した後装銃が作られた。プロイセン(現ドイツの一部)で発明されたドライゼなどである。それまでは弾と火薬を銃口から入れてから槊丈でついていたが、手元で開閉蓋を開けてそこに弾丸を装填するだけで発砲することが可能になった。これにより弾込めにかかる時間が大幅に短縮され、以後の新しく作られる銃は後装銃となった。

 

 ただし、このころの薬莢につけられていた雷管は、底の部分の真ん中ではなく、縁にあった。使用する弾の雷管の位置の違いが、古い銃と現代銃とを区別する目安となる。

 

 日本に最も多く入ってきた単発式の後装式ライフル銃は、スナイドル銃だろう。イギリス政府が、以前からあった前装式ライフルのエンフィールド銃を後装式に改良し、銃の手元部分に、弾を装填するための開閉蓋を取り付けたのだ。これにより安価に後装式ライフル銃を造ることでできるようになった。

 

 様々な後装銃がある中で、スナイドル銃が日本でもっとも普及したのは、構造が簡単な上に、安定しており、その上、使い慣れたエンフィールド銃の改良型という点も大きかったのではないだろうか。

 

 ところで、弾丸の装填時間が大幅に短縮される後装銃の出現により前装式ライフルは時代遅れの遺物になりそうなものだが、そうはならなかった。一気に置き換わらなかったのは、銃弾の供給の問題もあったが、それ以外の理由も大きかった。

 

 スナイドル銃に使われたのは、厚紙を使用してつくられたボクサー弾薬莢と呼ばれるもので、日本で若干つくられたという記録が残っているが、必要とされるだけの量を供給できるには至らなかったようだ。その上、苦労して取り寄せた銃弾の実用性がよくなかった。10発撃ったうちの23発が不発なのは当たり前で、時には半分近くが上手く発射しないこともあったという。これは、起爆材を入れておく雷管が当時の技術ではうまく作れなかったことに起因するようだ。火縄銃でも慣れた射手では、20秒ほどで装填が完了して次の弾が撃てるそうだから、実戦では弾が発射されるのが運任せとなってしまう後装銃よりも、確実に弾を発射できるエンフィールド銃で十分という声もあった。

 

 そのためだろうか、戊辰戦争勃発時の慶応4年(18681月には旧幕府軍、薩長軍ともに後装銃は主力ではなく、5月の上野戦争になって長州がスナイドル銃を投入、その後の東北戦争では佐幕諸藩の一部が装備するようになったという。

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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