オランダから輸入された「ゲベール銃」は、なぜ旧式ながら戊辰戦争で活躍したのか?
戊辰戦争と小銃 第2回 「ゲベール銃」
戊辰戦争では海外から多くの銃器が輸入され実戦で使用された。ゲベール銃は旧式だが、弾薬の互換性の良さなどの利点があり、旧幕府軍を中心にかなりの数が装備されていた。

オランダ語で「小銃」を意味する「Geweer」をゲベールと読んだため、多少スタイルが違っても前装滑腔式銃をこの名称で呼んだ。「管打式ゲベール銃」/板橋区立郷土資料館蔵
ゲベール銃とは1670年にフランスで採用され、1777年にオランダで軍用として取り上げられた銃のこと。弾を銃口から装填(そうてん)する前装銃であるが、写真のゲベール銃をよく見て欲しい。銃には必ずあると思われる、あるパーツがない。これがそれまで日本で使用されていた火縄銃と洋式銃の戦法の違いを端的に表している。この銃には銃口の上部に突起がない。上部の突起は、標的を狙う時に照門になり、これを使って照準を合わせる。
日本では、目標物に照準を合わせて撃つ方法が尊ばれた。これは、火薬の原料となる硝石(しょうせき)が日本ではほとんどが産出しなかったためだろう。火薬の製造量に限りがあるため、一発必中、例えていうならばゴルゴ13のような腕が必要されていたのである。
一方、硝石が簡単に手に入るヨーロッパでは、火薬を節約しなくてもよかった。鉄砲隊が密集し、前列に並ぶ膝撃ちの兵の後に立ち撃ちの兵が並んで号令に合わせて打ち放つ。花火に使用されることが多い黒色火薬だと、先が見通せないほどの煙で幕が張ったようになる。19世紀末のスーダンを舞台にした映画「サハラに舞う羽根」には、「阿蘭陀直伝高島流砲術巻」の中に描かれている光景がそのまま登場するので、参考までにご覧になってみてほしい。
先の見えないほどの煙幕の中から飛んでくる弾は、敵方は避けようにも難しいため、あまり狙撃に優れていない撃ち手でも敵にダメージを与えることができた。ひらたくいえば「下手な鉄砲数撃てば当たる」。狙撃手を育てるのには時間がかかるが、この方法だと一通り鉄砲の扱いを覚えさえすれば戦力になる。もっとも狙撃しようにもゲベール銃の照準制度は低かった。
火縄銃もゲベール銃も前装式なので弾と火薬を入れてから棒(朔杖/かるか)で奥まで押し込むまでは両者とも一緒だが、火縄銃は火皿と呼ばれる部分に少量の火薬を入れ、引き金を引くと火縄が火皿の火薬に点火し、そこから銃口に入れた火薬へ火が点いて弾が飛び出る。いつでも使えるように火縄に火が点いたままにしておくにはコツがあり、慣れないと難しい。
一方ゲベール銃の方は、引き金を引いて火打石で出た火花で火薬に点火するので、手順が少ない上、扱いも簡便だった。燧石(すいせき)式ゲベール銃に使われていた火打石だが、日本では雨が多く、湿気も高いのでうまく火花が散らないことがある。また、まねして作ろうにも良質な石を見つけることが難かった。やがてさらに簡便な管打式のゲベール銃が発明されるとすぐに日本でも使用されるようになり、国内でも製造されるようになって一気に広まった。
戊辰戦争ではもっと新しい形式の銃が活躍したが、それでもかなりの数が使用されていた。実は旧式ならではの利点があったからだ。最新式のスペンサー銃などは専用の薬莢(やっきょう)式弾丸が必要で、銃があっても弾丸がないと使用することができない。火縄銃やゲベール銃は銃口に入れば弾でなくても発射することができた。その証拠に戦国時代の戦場の遺跡から火縄銃の弾として使用されたのではないかと思われる石などが見つかっている。まさか、戊辰戦争で石が弾丸の代わりに使用されていたとは考えにくいが、弾丸に使われる鉛は融点が低いため、丸い弾ならば簡単に製造することができた。実際に戦場で製造していたという記録が残されている。