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なぜ「ミニエー銃」は新政府軍と旧幕府軍の両軍で使用されたのか?

戊辰戦争と小銃 第3回 「ミニエー銃」


従来の小銃に比べ、射的距離、命中精度を大幅に向上させたミニエー銃。その性能の良さから佐幕派、倒幕派の枠を越えて両軍の主要兵器となった。その秘密に迫る。


 

戊辰戦争の最後の戦い、箱館戦争では、火縄銃から当時の最新式であったスペンサー銃まで様々な銃が使用されたが、ここでも最も多く使用されたのはミニエー銃などの前装式ライフル銃であった。市立函館博物館蔵

 発砲事件や、刑事ドラマなどで、残された弾丸から「この銃は以前の〇〇事件で使用されたものと同じ」といわれるのを目にしたことがあるだろう。ではなぜ、銃から発射された弾丸だけでそんなことがわかるのだろうか。

 

 現在使用されている小銃や拳銃の銃身の内側には普通4本から6本ほどの溝が彫られ、この溝は銃口から見ると傾斜が付いた螺旋になっている。弾を発射する時に火薬の爆発によって生じるガス圧で弾丸が膨張しこの溝に押し付けられながら銃身内を進む。そのため、発射された弾丸には回転が加えられるのだ。

 

 この時に弾丸には溝に押し付けられた時の傷が残る。溝は機械で同じように作っても弾に残る傷は1丁ごとに異なるという。回転しない弾は空気抵抗や引力の影響を受けてすぐに下へ落ちてしまうため、あまり遠くまで飛ばないし、命中率もあまり高くはない。地球上で生活している限り、空気抵抗や引力は必ずついて回る問題なのだ。

 

 銃の内側に刻まれている溝のことをライフルといい、銃が誕生した後の比較的早い時期から、ライフルを刻んだ銃は存在したといわれている。だが、円形の弾だと、この溝にうまく食い込ませることができなかったり、弾を装填するのに時間がかかったりして、実用的ではなかった。

 

 それを、実戦に耐えるものに改良したのが、フランスのクロード・エティエンヌ・ミニエー大尉だ。1846年にそれまでの丸い弾を、俗に椎の実弾とよばれる先が尖った円柱形に成型。この銃弾の底の部分には空間を作りここに栓がしてあった。初期の栓は木製であったらしいが、後には金属に代わった。

 

 この弾丸を銃口から入れて槊丈(かるか)で押し込むと栓がライフルにうまくはまり込む上、火薬の爆発で生まれた圧力によって弾丸が内側に彫られた溝にしっかり密着し、回転しながら勢いよく飛び出す。この弾の誕生によって、命中率と有効射程距離が格段に向上した。

 

 なお、この椎の実弾であるが、回転を加えないと尖った先端部分がまっすぐに目標に向かって飛ばず、思ったような効果を得られなかった。空気抵抗という見えない壁を破るには流線型と目にも止まらないスピードの回転が必要だったということだろう。

 

 ミニエーが発明したこの弾丸を撃つための銃がミニエー銃である。ミニエー弾とミニエー銃は一世代前のゲベール銃に比べると格段に有効射程距離が延び、命中精度も一説によると3倍以上になったという。

 

 1851年にイギリスで採用されるとヨーロッパで一気に広まり、日本では文久3年(1863)ごろから輸入され、国産も試みられた。なお、この後、さらに改良を加えた前装式のライフルがいくつかあるが、日本ではライフリングされた前装銃のことを全般にミニエー銃と呼んでいる。弾の装填の効率化を図って開発された後装銃や、まとめて弾を装填できる連発銃も戊辰戦争の時点で日本に入って来ていたものの、銃そのものがミニエー銃に比べて高価であったことや専用弾丸の入手の問題もあって、それほど多くは使われていない。戊辰戦争もっとも広く一般的に使用されていたのは、前装式ライフルの「ミニエー銃」だったのだ。

 

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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