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南北戦争の主力兵器だった「エンフィールド銃」は、なぜ戊辰戦争で大量に使用されたのか?

戊辰戦争と小銃 第4回 「エンフィールド銃」


アメリカの南北戦争終結後、無用の長物となった大量の小銃が日本に持ち込まれた。戊辰戦争において新政府軍・旧幕府軍両軍の主力銃であったエンフィールド銃の秘密に迫る。


 

日本では前装式ライフル銃のことを総称してミニエー銃と呼ぶことが多い。このため厳密には違う銃であるが、エンフィールド銃のことをミニエー銃とも呼ぶこともある。エンフィールド銃/板橋区立郷土資料館蔵

 中東で戦争が起こると原油価格が高騰し、ガソリンの値段が上がる。アジアでコロナが蔓延し、半導体の生産性が落ちてくると日本への輸入量が減り、給湯器を作ることができなくなる。そうすると、給湯器が未設置の家は引き渡せないとハウスメーカーが右往左往する。グローバル化が進んだ現代ではよくある話だ。しかし、これは今に始まったことではなく、実は、戊辰戦争の時代にもあったことなのだ。一体どういうことだろうか?

 

 最近話題に上ることが多いクリミア半島。この地は、何度も戦いの舞台となったが、その中で1853年から1856年にかけて、ロシアとオスマントルコの間で行われたクリミア戦争は、ナイチンゲールが看護師として活躍したことで有名だ。ちなみにナイチンゲールは看護師の地位を向上させただけでなく、公衆衛生や致死率といった医療統計学に大きな功績を残した。

 

 その直後の1861年、今度はアメリカで、激しい戦いが起こった。国を南北に二分したことから南北戦争と呼ばれるこの内戦では60万人以上が戦死したという。これはアメリカ史上最も多い戦死者数だ。第二次世界大戦でのアメリカの戦死者は40万人ぐらいといわれていることから、いかに多くの人命が失われたかがわかるだろう。

 

 このクリミア戦争、南北戦争では小銃や大砲といった多くの火器が使用されたが、戦争が終結した後はどうしたのだろうか。中には戦闘中に壊れて使えなくなったものもあれば、その後も軍隊の備品として使用され続けたものもあった。しかし、戦時体制が終了し、志願したり徴集されたりした兵士たちが復員し使用していた銃などは大量に余剰在庫となった。次の戦争に備えて保管しておいても、邪魔になるし、手入れが悪いとすぐに錆びて使い物にならなくなってしまい、さらには旧式になってしまう。そこで、欧米の兵器商たちは余った銃を他の国に売りつけることを思いついた。うまくすれば大金を手にすることもできる。

 

 クリミア戦争が終結した当時、アジア諸国などでは、まだ小銃は火縄銃が主力であった。こうした国々に銃を輸出しようとしたのだ。特に、日本は、近海を航行する外国船の脅威に対して軍備を見直していたからよい商売相手として映ったことだろう。

 

 長崎の観光名所として名高いグラバー園。ここには、幕末から明治にかけて活躍したイギリス商人トーマス・グラバーの屋敷がある。彼がこのような見事な屋敷を造ることができたのは、武器を大量に売りさばいたからだ。記録によれば、ミニエー銃4300丁、ゲベール銃3000丁を売り長州に売り、その代金として92400両を受け取ったという。

 

 グラバーといえば坂本龍馬との関係がよく紹介されるので、薩長土肥の4藩にだけ武器を流していたように思われがちだが、幕府との取引もあった。グラバーだけでなく、ほかにも大勢の武器商人がおり、それぞれがいろいろなところから武器を調達しては日本人に売りつけていた。

 

 この結果、旧幕府軍も新政府軍も、クリミア戦争や南北戦争で使用された小銃で武装し、戊辰戦争を戦うことになったのだ。南北戦争で一番多く使用されていたのが、ミニエー銃の後継機種にあたる前装式ライフル銃の「エンフィールド銃」だった。そのため、戊辰戦争で最も多く使用されたのは、エンフィールド銃だったとされている。

 

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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