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源義経の家来・武蔵坊弁慶が「鬼の子」と呼ばれた理由とは?

鬼滅の戦史68


源義経の忠実な家来として、華々しい活躍ぶりが伝えられる武蔵坊弁慶。しかし、生まれてすぐ鬼子と見なされて殺されそうになるなど、その実体は謎めいたものであった。弁慶とは、本当に実在の人物だったのだろうか?


五条橋に続いて、清水寺でも大立ち回り

「五条橋の弁慶と牛若丸」『武将豪傑錦絵帖』所収(加賀文庫)/都立中央図書館蔵

 弁慶といえば、牛若丸との京の五条橋での立ち回りがよく知られるところである。太刀千本奪いの願をかけて、夜な夜な市中を徘徊する弁慶。すでに九百九十九本まで奪い取り、最後の一本というところで巡り合ったのが、黄金造りの見事な太刀を佩(は)ていた牛若丸であった。

 

「太刀をよこせ」と迫る弁慶。これに対して、「欲しければ力づくで奪えばよかろう」と軽くあしらう牛若丸。怒った弁慶が、太刀を振りかざして斬りかかったことはいうまでもない。しかし、剛力をもって振り下ろした太刀をもさらりとかわされ、かえって横倒しにされる始末。挙句、胸まで踏んづけられるなど、散々な目に合わされてしまった…と綴るのが、南北朝から室町時代初期に成立したという、作者不詳の軍記物語『義経記』である。

 

 一方、子供達がよく知る童謡『牛若丸』では、牛若丸が燕のような早業で五条大橋の欄干に飛び移り、長い薙刀を振り回す弁慶を翻弄させた挙句、その場で跪かせたとしている。この辺り、『義経記』とは、少々設定が異なっているようだ。こちらは、翌日もう一度両者に立ち回りを演じさせているからだ。観音様の縁日が催されて、ごった返す清水寺に舞台を移し、衆目の中、弁慶が牛若丸に膝を屈したことにしている。それが、清水の大舞台だったと言うから、舞台としても申し分なし。何ともよく出来た設定である。

 

真偽の定まらぬ『義経記』の記載

 

 いずれにしても、このような二人の立ち回りが史実であったかどうか定かではない。あくまでも創作の世界とみなしておいた方が良さそうである。実のところ、『吾妻鏡』や『平家物語』などには、このような出会いはもとより、弁慶に関する記載もほとんどないのが実情。ただ義経の郎等の一人として、弁慶法師あるいは武蔵坊弁慶の名だけが記されているだけなのだ。

 

『義経記』がどこまで史実を反映させているのかはわからないが、おそらくは、各地で伝えられてきた弁慶伝説をつなぎ合わせて、一連の物語として組み立て直したと考えられることができそうだ。そのため、これまで流布してきた弁慶に関する説話の多くが、創作あるいは、真偽も定まらぬ伝承をもとにしたものであることを頭に入れておくべきだろう。

 

鬼子として殺されそうになるも…出生の真実

 

 ともあれ、ここからは真偽はともあれ『義経記』に記された弁慶の生涯について見ていくことにしたい。弁慶の出生に関しては、全八巻のうちの巻第三の冒頭に詳しく記されている。

 

 それによれば、弁慶の父は、熊野の別当・弁せう(『弁慶物語』では湛増)ということになっている。祖が藤原氏の祖神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)というから、錚々たる家系である。その父が、絶世の美女と謳われた二位大納言の娘を半ば強奪するかのように娶って生まれたのが、弁慶だったという。

 

 出産からして異常であった。驚くことに、母の胎内にいること18ヶ月だったというから、誰もが奇異に思ったに違いない。生まれ出た時には、すでに髪の毛は肩まで伸び、前歯も奥歯も生え揃っていたとか。驚いた父が、我が子ながらもこれを鬼子とみなして殺そうとしたというから、気が動転するほどのことだったのだろう。

 

 哀れんだ叔母の取りなしによって命だけは助けられたものの、鬼若と命名され、叔母の元に引き取られて育てられたという。後に比叡山に入れられるも、乱暴が過ぎて追い出されたほどの暴れん坊だったとも。以降、自ら武蔵坊弁慶を名乗って、各地で狼藉(ろうぜき)を繰り返したという。

 

 その後に続くのが、前述の牛若丸との出会いであった。それからは義経の忠実な家来としての動向が、よく知られるところである。

 

 特に、頼朝に追われて逃避行を続ける中での活躍ぶりが目覚ましい。西国落ちに際して、摂津国大物浦から船団を組んで九州へと船出しようとした時のこと。暴風雨のために難破しそうになったが、それが壇ノ浦に沈んだ平知盛(とももり)の亡霊の仕業として、弁慶が経文を唱えてこれを追い払ったという「船弁慶」の物語が有名。

 

 北国落ちの際の安宅の関では、関守・冨樫左衛門に咎められ、弁慶が偽りの勧進帳を読み上げて難を逃れたというのも、よく知られるところである。

 

歌舞伎でも喝采を浴びる演目『勧進帳』歌川豊国・国貞筆/都立中央図書館特別文庫室蔵

 

 無数の矢を射られてすでに絶命しているにも関わらず、なおも義経を守り通そうと立ち続けたという「弁慶の立ち往生」などの名場面も、能や歌舞伎などで演じられているため、ご存知の方も多いに違いない。ただし、それらが果たして、史実に基づいたものだったかどうか? こればかりは、疑問視せざるを得ないというのが実情である。一体どこまでが本当の話だったのか、真実を知りたいものである。 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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