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戦国最強の鉄砲集団と謳われた「雑賀衆」ゆかりの地をめぐる~和歌山の旅~

雑賀衆の生きた証


戦国最強の鉄砲集団と謳われた「雑賀衆」。彼らが本拠としていた現在の和歌山(とくに和歌山市)周辺には、雑賀衆の薫りが残る場所が今でも数多く残る。雑賀衆が本陣を構えた雑賀城や秀吉と激闘を繰り広げた太田城など、現場ならではの「雑賀衆の生きた証」を感じられる場所をここでは紹介していく。


 

孫一の父が築き、孫一が城主を務めた城

■雑賀城跡

 

雑賀城跡に立つ養珠寺「妙見堂」

 

 雑賀城は孫一の父・鈴木佐太夫によって築城されたと伝えられ、戦国時代末期には雑賀孫一が城主となっていたとされる。

 

 天正5年(1577)、織田信長は服属要求を拒否した雑賀衆に向けて、大軍を進軍させた。このとき、雑賀衆が本陣を構えたのが、雑賀城であり、周りに多くの砦を築き、信長軍に備えた。

 

 丘山上に広がる千畳敷と呼ばれた広大な平地がかつての城跡で、城を中心に城下町が広がっていたという。

 

 いつ頃まで存在したかは不明で、天正13年(1585)の豊臣秀吉の紀州攻めのころには廃城となっていたとみられる。現在は、城跡山公園(津屋公園)として整備されている。山頂には養珠寺があるが、明確な城の痕跡は残されていない。

 

[住所]和歌山市和歌浦中3

 

 

織田信長と戦うために築いた天然の要塞

■弥勒寺山城跡(秋葉山)

 

弥勒寺山城跡に立つ「顕如上人桌錫碑」

 

 天正5年に雑賀孫一によって築かれたとされる雑賀衆の居城。前出の雑賀城よりも孫一はこちらの城を本拠としたようである。孫一が城を構えるまでは、紀伊国の一向宗の中心地であったとされる。山頂からは雑賀全体を見渡すことができる上、三方は山に囲まれているため、対信長軍用の城を構えるには適所とあったと見ることができる。信長軍を迎え撃つため山全体を城塞化したのだ。

 

 現在は「秋葉山公園」として整備、山頂からは和歌山城などが一望できるが、戦国時代の面影を見ることはできない。

 

[住所]和歌山市秋葉町14

 

 

石山合戦後、本願寺顕如が雑賀衆とともに過ごした寺

■本願寺鷺森別院

 

本願寺鷺森別院

 

 元亀元年(1570)より、激しくぶつかり合った本願寺勢力と織田信長は10年にも及ぶ戦いを繰り広げた結果、朝廷の斡旋により、和議となった。事実上、顕如率いる本願寺が畿内から退去することで幕を閉じた。

 

 顕如上人一行は紀州鷺森に本願寺を移転。紀州・雑賀衆のもとへ下向した際に過ごしたのが、本願寺鷺森別院である。3年ほどの間、この地で顕如が過ごすこととなり、浄土真宗本願寺派の本山としての役割を果たす。別名「雑賀御坊」とも呼ばれた。

 

 その後、衰退するも江戸時代に再興。太平洋戦争にて焼失後、戦後に改築されたのが現在の建物となっている。

 

[住所]和歌山市鷺ノ森1

 

 

最後の最後まで抗った雑賀衆終焉の地

■太田城跡(来迎寺)

 

来迎寺に立つ「太田城趾碑」

 

 天正5年、織田信長による紀州攻めでは、太田左近を党首とした宮郷衆(雑賀で自治をしていた5つの郷のうちのひとつ)は信長軍に味方。雑賀衆とは敵対する関係となったが、この戦いでは雑賀衆が実質の勝利をおさめることとなった。翌天正6年、遺恨を残した雑賀衆と宮郷衆は激突。宮郷衆の本拠・太田城を雑賀衆が攻めるも、攻略できずに和議となったのであった。

 

 本能寺の変で信長が斃れ、さらに雑賀孫一が求心力を失っていくと、台頭したのがこの宮郷衆を率いた太田左近であった。左近はときの権力者・豊臣秀吉に徹底抗戦し、紀州征伐に差し向けられた秀吉軍10万と激突。周囲の諸城を次々と落とされ、本城・太田城に籠城した左近たちであったが、日本三大水攻めのひとつに数えられる大規模な水攻めに合い、あえなく開城。左近は自害し、戦いに幕を閉じた。

 

 太田城は現在は来迎寺となっており、境内には「太田城趾碑」や紀州征伐で命を落とした「戦没者慰霊碑」などが立つ。境内が本丸跡だったと伝わる。

 

[住所]和歌山市太田2丁目3-7

 

 

信長に勝利したことを祝った場所として「勝ち運」の神社として栄える

■矢宮神社

 

矢宮神社の鳥居

 

 賀茂建津之命(かもたけつのみのみこと)、別名「八咫烏命(やたがらすのみこと)」を祀る雑賀庄の守り神。八咫烏は雑賀孫一の家紋として、全国的にも知られる紋で、現在のゲームなどでは孫一の印としても採用されている。

 

 神社の由緒については、信長の紀州攻めの際、社殿や書物が焼失してしまったことでわからないことも多くあるが、紀州徳川家の歴代当主が寄進した品も多く残り、地元民からの信仰が厚い社である。紀州初代藩主・徳川頼宣は本殿の再興などを行い、幕末にいたるまで紀伊国の大社として栄えた。

 

 天正5年(1577)の信長紀州攻めでは、村民が神助を祈ったとされ、これが現在でも受け継がれている雑賀踊の始まりとされている。また信長軍の侵攻を阻止した孫一が勝利を祝い、境内で「雑賀踊り」を踊ったと伝えられており、現在も勝ち神様として信仰されている神社である。

 

[住所]和歌山市関戸1-2

 

 

雑賀孫一の街づくりを実現を目指して

■紀州雑賀 孫市城

 

紀州雑賀 孫市城


甲冑を着たり、火縄銃(複製)を構えたりして楽しむことができる。

 

 紀州雑賀にしかない本物の「雑賀孫市と雑賀衆」のグッズを販売。孫一がモチーフのキャラクター「まごりん」をはじめ、雑賀衆グッズなどが揃っている。また火縄銃を模したグッズやオリジナルのハンドタオルなど、ここでしか手に入らないものも。

 

 また「孫市の街=和歌山市駅前」を掲げ、雑賀孫市の街づくりを実現するために奮闘する街の姿を紹介。雑賀衆本拠の街として雑賀孫市や雑賀衆に関する本物の情報を発信している。

 

 常時営業ではないので、事前に連絡を。

 

[住所]和歌山市西布経丁1-13
[電話]090-9888-0881
[HP]http://magoichi.or.tv/

 

 

雑賀衆にまつわる重要な品を目にすることができる

■和歌山市立博物館

 

和歌山市立博物館

 

 郷土・和歌山の歴史・文化遺産に関する市民の理解と認識を深め、教育・文化の発展に寄与することを目的とした歴史系博物館。

 

 雑賀衆関連の所蔵物として日本に3つしかない雑賀鉢のひとつ「鉄錆地雑賀鉢兜」(重要美術品に指定)や紀州の鉄砲鍛冶である早川甚之助正元が製作した「火縄銃」を所蔵。

 

 雑賀衆をはじめ、紀州徳川家などのゆかりの品など、本物の歴史に触れることのできる場所だ。

 

[住所]和歌山市湊本町3丁目2番地
[電話]073-423-0003
[HP]http://www.wakayama-city-museum.jp/index.html

 

 

実際に火縄銃(レプリカ)を手にして遊べる資料館

■平井資料館

 

雑賀衆の兜と火縄銃(ともにレプリカ)。実際に手に取ることができる。

 

 雑賀衆に関する展示が多く見られる資料館。雑賀衆が用いたといわれる雑賀鉢兜や火縄銃の体験用複製品も展示しており、リアル体験として雑賀衆に触れることができる。

 

 また近くの平井遺跡でみつかった古墳時代(約1500年前)の「埴輪窯」(古墳にならべる埴輪を焼いた窯)やそこでつくられた埴輪などを展示し、和歌山の古代史に関する展示も魅力的だ。

 

[住所]和歌山市平井72-1
[電話]073-488-9111
[HP]http://www.city.wakayama.wakayama.jp/shisetsu/bunkashisetsu/1034719.html

 

 

「雑賀孫市は和歌山の宝」伝説の戦国最強の鉄砲集団”雑賀衆”をもっと知ってほしい

■孫市まつり

 

孫一や雑賀衆に扮した地元の人たちによる火縄銃の実射を見ることができる。


桜が咲く時期に開催され、武士の行列と桜のコラボが爽快である。

 

 2005年に始まった「孫市まつり」。今年(2022年3月27日開催。本年は終了しております)で18回目を終え、毎年盛り上がりを見せる。

 

「雑賀孫市は和歌山の宝」と呼びかけ、雑賀孫一や雑賀衆に扮した地元の人たちが迫力ある武者行列や鉄砲演武などを披露。戦国の鉄砲大将”雑賀孫市”と伝説の戦国最強の鉄砲集団”雑賀衆”をもっと知ってほしい、という和歌山の人々の想いが通じ、全国からファンが集結する。

 

[開催地]本願寺鷺森別院(和歌山市鷺ノ森1)

 

 

400年も続く、伝統の祭典

■和歌祭

 

和歌祭

 

 和歌浦随一の名所として、今も「権現さま」と仰がれ親しまれる「紀州東照宮」にて創建以来、毎年5月に開かれる例祭が「和歌祭」である。紀州藩祖・徳川頼宣によって創建された「紀州東照宮」は徳川家康と頼宣を祀る、400年の歴史をもつ大社。大正5年より本殿など7棟が国指定の重要文化財に指定され、平成29年には建物と和歌祭が日本遺産に指定された。

 

 当日には紀州の武勇を示すものや紀州人の心意気を表現した行列が、神輿をかついで宮の急勾配な階段を下る。その様子は圧巻で古くは、日本三大祭、紀州の国中第一の大祭と呼ばれ、全国に類を見ない祭として、地元民の誇りとなっている。

 

[開催地]紀州東照宮(和歌山市和歌浦西2丁目1−20)
[公式HP]http://wakamatsuri.com/

 

【雑賀衆ゆかりの地MAP】

ゆかりの地MAP

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古代の都と遷都の謎

「古代日本の都と遷都の謎」今号では古代日本の都が何度も遷都した理由について特集。今回は飛鳥時代から平安時代まで。飛鳥板蓋宮・近江大津宮・難波宮・藤原京・平城京・長岡京・平安京そして幻の都・福原京まで、謎多き古代の都の秘密に迫る。遷都の真意と政治的思惑、それによってどんな世がもたらされたのか? 「遷都」という視点から、古代日本史を解き明かしていく。