苦境から何度も立ち上がった不屈の熊本城 ─存続させる原動力とは─
史上最強の熊本城の歴史 Part.3
戦国の築城名人・加藤清正の築城から400年。鉄壁といわれる縄張りや日本人なら一度は目にしたことのある武者返しと呼ばれる急勾配な石垣などを有し日本三名城の1つに数えられる。明治初めに西南戦争に巻き込まれ、一度は焼失するも熊本市民の熱意により復活。その歴史のなかで危機を乗り越えてきた。
2度の戦乱に巻き込まれ、西南戦争で炎上し焼失

『鹿児島の賊軍熊本城激戦図』西南戦争で籠城戦を持ちこたえ、難攻不落の堅城であることを証明したが、謎の発火で天守と本丸御殿一帯が炎に包まれた。(国立国会図書館蔵)
加藤清正によって築かれた熊本城は、その後、肥後国の支配を継いだ細川氏によって改修はされているものの、戦乱に巻き込まれることなく江戸時代を経て、幕末を迎えている。明治維新後、熊本城内には熊本鎮台(ちんだい)が設置され、九州および中国地方の西部まで管轄することになった。当時、九州の中心が熊本だったためである。
そのころ、日本国内には武士としての特権を失った不平士族による不満が高まっており、明治9年(1876)、熊本においては神風連(じんぷうれん)の乱が勃発している。神風連は、国粋主義的な思想をもつ旧熊本藩の士族が組織したもので、一時は優勢に戦ったが、わずか1日で鎮圧されてしまった。このとき、城は初めて戦地となっている。

神風連の乱神風連は熊本城へ攻め込み一時優勢となったが、鎮圧隊に敗れ、多くの神風連隊士は戦死したという。(国立国会図書館蔵)
翌明治10年に旧薩摩藩の士族を中心に西南(せいなん)戦争がおこると、熊本鎮台は西郷隆盛(さいごうたかもり)率いる1万4000の軍勢に攻撃されてしまう。このとき、熊本鎮台では司令官・谷干城(たにたてき)以下4000の兵で籠城し、熊本城を死守。ただし、熊本城はこの開戦直前の謎の出火により、天守や本丸御殿も焼失してしまったのである。
太平洋戦争を乗り越え“昭和の大再建”へ
戦後復興のシンボルとして熊本の悲願である城復元を
西南戦争で天守や本丸御殿が焼失してしまった熊本城の復興は、多くの人々の悲願であった。そのため、昭和初期には早くも城の再建が熊本市議会で議論されるが、計画として実現することはなかった。それは、資金のめどがたたないことと、第六師団の軍用地となっていたことが大きい。そうこうしているうちに、日本が太平洋戦争に突入したことで、再建計画は頓挫してしまった。

戦時中の熊本城
第六師団の司令部が置かれた本丸の大正期の様子。城内や城下には兵営、病院、倉庫群、兵器・弾薬の貯蔵施設などが設けられ軍都化した。(生田誠コレクション・イメージアーカイブ/DNPartcom)
昭和20年(1945)7月1日の熊本大空襲で、熊本市街は多大な被害を受ける。しかしながら、幸いなことに熊本城は焼失を免れた。そして、戦後には早くも、熊本城の再建が再び議論されるようになっている。
本格的に熊本城再建に動きが見え始めたのは、昭和31年に天守の再建を公約に掲げた坂口主税(さかぐちちから)市長が当選したことによる。熊本市議会でも再建案が採択され、再建が決定した。
ただし、問題となったのは、戦前と同じく資金であった。熊本市では予算として2億円を計上したものの、これは当時としても破格の金額である。大卒の初任給が当時と現在で約20倍の開きがあることを考えると、当時の2億円は現在では40億円ほどの価値があったことになる。
さて、予算に計上した2億円を、熊本市では賄うことはできなかった。そのため、1億5000万円を国から借り入れ、残る5000万円を寄付で賄う計画を立てている。とはいえ、その巨額の費用を集めることができなければ、計画のまま頓挫していたに違いない。そこに、熊本市内で金融業を営んでいた松崎吉次郎(まつざききちじろう)氏が、再建のための費用として5000万円を寄付された。天守に葺く瓦を購入してもらう瓦募金も集まり、資金の目途がたったのである。

昭和の大再建
熊本城の再建費用は2億円。83年ぶりに熊本城に天守が復活した工事となった。(熊本城総合事務所提供)
こうして、昭和34年、熊本城では清正死去350年を機に天守が再建されることとなり、翌昭和35年には早くも完成したのだった。再建された天守は、鉄骨鉄筋コンクリート造の外観復元となっている。
2016年「熊本地震」被災…。瀕した危機‼
遠い道のりにも負けず完全復活へ‼ 復興城主求む
美しい熊本城を再び!復興する熊本城を見学できるように設けられた特別見学通路。
戦国の築城名人・加藤清正の築城から400年。鉄壁といわれる縄張りや日本人なら一度は目にしたことのある武者返しと呼ばれる急勾配な石垣などを有し日本三名城の1つに数えられる。明治初めに西南戦争に巻き込まれ、一度は焼失するも熊本市民の熱意により復活。その歴史のなかで危機を乗り越えてきた。
そんな熊本城を悲劇が襲った──。平成28年に発生した「熊本地震」である。熊本城は江戸時代や明治時代にも地震や水害による天災に遭遇してきたが、平成28年の地震はその中でも大規模なものとなった。重要文化財建造物13棟、復元建造物20棟の被災、石垣の崩落・膨らみ・緩みなど517面と、甚大な被害報告が記録されている。
倒壊した石垣想像以上に悲惨な崩落をした石垣。多数にわたる被災箇所はまだまだ手が回り切っていない。
現在、復興に向け修復中ではあるが、道のりは遠く長い。復興が完了するのは2037年度になるという。とくに困難とされるのが「石垣の積み直し」。緻密に積み上げられた石垣は加藤清正による築城当時のものもあり、崩落した石材は元の位置を違わぬよう、厳密に作業が行われている。
修復の力となっているのは、なんといっても全国から集まる寄付によるところが大きく、総額50億を超えたという。その寄付金は復興する熊本城を見学できるように設けられた特別見学通路の開設や天守閣・長塀の修復に活用され、これらの作業は実現・完了した。今もなお、完全復旧・復興を目指し、全国の人々に協力を求める「復興城主」プロジェクトは活動中である!
復興城主とは…?
平成28年熊本地震により甚大な被害を受けた熊本城の復旧・復元は、長い年月と莫大な費用を要することが見込まれ、多くの皆様からのご支援を必要としております。現在、皆さまからのご支援により少しずつ復旧工事が進んでいますが、まだまだ困難な道のりは長く、そのための寄付金募集プログラムが「復興城主」です。
【特典】
1回につき1万円以上の寄附をされた方を「復興城主」として登録し、3つの特典をご用意しています。①城主の証し「城主証」の発行 ②熊本市の観光施設や協賛店で特典を受けることができる優待証「城主手形」の発行(個人のみ) ③城主になられた方の御芳名をデジタル芳名板(大天守4階及び熊本城ミュージアムわくわく座2階の専用コーナーに設置)に掲載。城主証
城主手形
※手形特典は寄付金額に応じて期間が異なる。
デジタル芳名板
芳名板は訪城への動機づけとなり、訪城ならではの感傷に浸ることができる。
※芳名板への掲載は申し込みから約3ヵ月後。
【寄付の方法】
①ふるさと納税サイトから
熊本市外の方は「3つの特典」以外の返礼品も選ぶことができます。
[問]熊本市ふるさと納税受注センター ☎096-288-3990
②お振込み
専用の振込用紙を「熊本城総合事務所」より公式HPまたは電話で請求してお取り寄せいただき、最寄りの郵便局よりお振込みください。
[問]熊本城総合事務所 ☎096-359-6475
③窓口(現金受付)
「桜の馬場城彩苑」内の熊本城ミュージアムわくわく座1Fロビー専
用窓口、または熊本城総合事務所にて受付。係員に申し出ください。
[問]熊本城総合事務所 ☎096-359-6475