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映画『信虎』が描く、武田家の礎を築いた信虎が息子・信玄に追放された理由

歴史を楽しむ「映画の時間」第23回 

 


 実の親子兄弟と言えど、激しい争いが繰り広げられた戦国時代。今年、生誕500年を迎える武田信玄とその父・信虎もまた親子で争った。信玄が父・信虎を追放したのは何故なのか、そして、信虎のその後の人生は? 11月12日から公開される映画『信虎』を通して、甲斐国の礎を築いた信虎の人間像を紹介する。


c)ミヤオビピクチャーズ

剃髪し墨染めの法衣をまとう、妖しい眼光を放つ僧形の男・信虎

 

 剃髪し墨染めの法衣をまとう僧形の男。眼光は鋭く、妖しい。

 

 かつて私は、武田信虎(たけだ・のぶとら)の肖像画「絹本著色武田信虎像(けんぽんちゃくしょくたけだのぶとらぞう)」(重要文化財)を前にした時、その異様さと、えも言えぬ迫力に暫し動きがとれずその場を離れることができなかったーー。

 

 11月12日公開の映画『信虎』は武田信玄(たけだ・しんげん)の父である武田信虎の晩年を描いた作品だ。

 

 主演の寺田農(てらだ・みのり)は、信虎、齢八十にしてなお曲者で野心を枯らすことのない姿を演じてみせている。寺田の双眼からは、内なるものが妖しさとともに表出する。

 

武田家の礎を築いた信虎は何故、息子・信玄に追放されたのか?

 

C)ミヤオビピクチャーズ

 信虎は1494年(明応3)、武田信縄(のぶつな)の嫡男として生まれた。幼名を五郎、初名は信直。信虎と改名したのは1521年(永正18)、28歳である。

 

 信虎は1519年(永正15)、石和川田館(いさわかわだやかた)を引き払い、甲府盆地の中央に躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を築き、そこを新たな府中として家臣団を集住させた。反撥した者は次々に制圧し、やがて甲斐は統一されることになる。そして1521年11月、嫡男の晴信(はるのぶ)、のちの信玄が生まれる。

 

 しかし国の礎を築いた信虎は、1541年(天文10)、息子晴信によって領国を追放されることになる。家臣を成敗し、国を追われる者が続出するという暴君の振る舞いがその理由とされている。その後は駿河の今川氏に客分として遇され、また京に滞在しながら30年以上を過ごしている。

 

信玄の訃報に触れ、武田領国を目指し動き出す信虎

 

C)ミヤオビピクチャーズ

 本作は、1573年(元亀4)、西上作戦の途上、信玄が倒れたことで幕を開ける。

 

 甲斐を追われたのちに出家し「無人斎道有」(むじんさいどうう)を名乗っていた信虎は、訃報に触れ直ちに武田領国を目指し動き出す。

 

 その頃の武田家は信玄の子勝頼(かつより)をいただき、織田、上杉、北条と対峙していた。そこに信虎が帰参し、信州伊奈で対面を果たすのだ。戦国の甲斐武田家について記された甲陽軍鑑にはこの日のことが詳細に書き残されている。

 

《勝頼公と御対面の座にて勝頼は母方は誰ぞと尋ね給ふ、長閑承り諏訪の頼茂むすめ子にてましますと申、信虎公少し御気色違ひ、勝頼は当年いくつぞと御尋有、長閑承り、二十九歳にて御座候と申(略)武田の重代を御座敷に置給ふ尤も也、然る所に信虎公此御腰物をぬき給ひ、此刀にて五十人にあまり御手うちなされ候、中にも内藤修理と名乗奴の兄をけさがけに切たると被仰、其後勝頼公の御かほ御覧なされ、左文字の腰物をぬきながら如此と座中悉く氷り、目もあてられぬもやうなるを、小笠原慶庵、心の剛なる人にて候ゆへ、かようの次は承り及たる武田御重代拝み申べきと、被申て信虎公の御傍へ参り勝頼公の間へ入御腰物を無理に奪取、鞘に納めて戴ひて長閑に渡す……》

勝頼の器を見定めようと問い詰め、家宝の刀「左文字」を抜き自らの武威を誇る信虎

C)ミヤオビピクチャーズ

 

 三十年以上国を離れていた信虎は、初見である勝頼に「母方は誰だ」と尋ね、諏訪頼重(すわ・よりしげ)の娘と知ると苛立ちを見せている。そして当主としての器を見定めようとしたのか年齢まで訊いている。

 

 さらには、長坂長閑(ながさか・ちょうかん)、内藤修理(ないとう・しゅり)、馬場美濃守(ばば・みののかみ)、山県三郎右兵衛尉(やまがた・さぶろうひょうえのじょう)、高坂弾正(こうさか・だんじょう)らが居並ぶ前で、武田家に代々伝わる家宝の刀「左文字」を抜き場を凍りつかせた。

 

 信虎は「この刀で五十人以上手討ちにした。内藤修理と名乗る奴の兄も袈裟懸けに斬った」と自らが統領であった時代の武威を誇るかのように語ったのだ。

 

信虎が残された最後の時間を注いだ武田家の行く末は?

 

C)ミヤオビピクチャーズ

 信虎はこの対面の翌年、81歳で亡くなっている。本作が描くのはその1年間だ。

 

 武田家は1582年(天正10)、織田信長(おだ・のぶなが)の甲州征伐により勝頼の代で滅ぶことになる。伊奈での対面で行く末を案じた信虎は、以後、武田家のために残された時間を注ぐ。人生のたそがれのなかで悟り、家名を残し繋ぐことに奔走する。

 

 信虎が描かれた肖像画――そこには彼の妄執が込められているかのようである。作者は三男で信玄の弟の逍遥軒信廉(しょうようけん・のぶかど)。信虎が没したのちに描かれ、菩提所大泉寺に奉納されている。

 

 

 

【映画情報】

11月12日(金)よりTOHOシネマズ日本橋、TOHOシネマズ梅田ほか全国公開

『信虎』

 

監督/金子修介 共同監督・脚本/宮下玄覇

出演/寺田農、谷村美月、矢野聖人、荒井敦史、榎木孝明、永島敏行、渡辺裕之、隆大介、石垣佑磨、葛山信吾、嘉門タツオ、杉浦太陽、左伴彩佳(AKB48)、柏原収史

時間/135分 製作年/2021年 製作国/日本

 

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隆次郎太郎りゅう じろうたろう

朝ドラ、大河ドラマを好んで観る。印象深い作品は『風と雲と虹と』『北条時宗』『澪つくし』『カーネーション』『半分、青い。』『スカーレット』。和田勉作品の『けものみち』『天城越え』も好きです。趣味は地形を味わいながらの散歩。

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