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奥女中が参詣を装い、夜通しで美僧の祈祷を受けた「延命院事件」とは?

今月の歴史人 Part.1


男子禁制の大奥を震撼させた事件の数々。いずれも男女仲が関わったもので、その背後には、彼女たちの権力闘争はもちろんのこと、幕府内の派閥抗争も微妙に絡み合い、江戸中に騒動を巻き起こした。今回は59人もの女中がかかわり、罪を犯した大奥の歴史に残る大事件を紹介。(『歴史人』10月号「〝大奥〟事件簿」より)


■参詣を装い、夜通し僧侶の 祈禱を受ける奥女中たち

『延命院日当話』月岡芳年画

『延命院日当話』月岡芳年画
役者顔負けの美僧と奥女中たちが犯した、二重の掟破り日潤と奥女中の逢い引きの様子が描かれた作品。男子禁制の大奥と、女犯を犯した僧侶の密通は、2つの厳しい掟を同時 に破った事件として江戸中の大騒ぎとなり、日潤は死罪となった。(国立国会図書館蔵)

 延命院(えんめいいん)は将軍家光の側室お楽(らく)の方の安産を祈禱して効験(こうけん)があり、慶安元年(1648)谷中(荒川区西日暮里)に創建された日蓮宗寺院である。生まれたのは4代将軍・家綱(いえつな)で、幕府・御三家の奥向きから篤い尊崇・庇護をうけて隆盛したが、元禄以後には衰退した。

 

 ところが100年が過ぎて寛政8年(1796)、32歳の日潤[にちじゅん](日道とも)が住職となるや、女性ばかりが群れをなして参詣する人気の寺になった。

 

 日潤は美男のうえ美声で、彼の説教や祈禱にうっとりする女性信者が昼夜を問わず参詣した。なかでも日潤が始めた「通夜参籠(つやさんろう)」には、外出が厳しい大奥や御三家・諸大名の奥女中が「代参」と称して、夕刻から乗物を連ねて訪れ、夜通し祈禱を受けた。

 

 5人いた寺社奉行の中で歳だったが最古参の脇坂安董[わきさかやすただ](播磨・竜野藩主)は、延命院の異様な繁栄ぶりと熱気に不審を持った。しかし外からは内情がつかめない。

 

 脇坂は男では探索は無理であるとして、家臣・三枝右門(さいぐさうもん)の妹・お梛(なぎ)を奥女中に仕立てて「通夜参籠」に行かせ、延命院は寺域で何をしているかを探らせた。

 

 日潤はお梛を一目見て、その美貌と豊満な身体に狂喜し、夢中になった。個室での通夜参籠の祈禱は念入りで、2人は汗みずくになった。

 

 そして何度かの参籠の間に、お梛は日潤所持の奥女中の手紙や金銭処理書のほか、建物の仕掛けなど、数々の秘密をつかんで、主君の脇坂に伝えた。

 

 寺社奉行所は享和3年(1803)5月日未明、「通夜参籠」さなかの延命院を襲い、日潤、納所坊主柳全(なっしょぼうずりゅうぜん)、芝居町から雇った10人近い男、そして20人余りの女を捕らえた。

 

 大奥がからむと、真相究明は腰砕けになるのがふつうだが、延命院事件は町家の女房・娘も多かったので、裁判記録が残った(丹野顯著『江戸の名奉行』より)。

 

 僧侶の性犯罪は「女犯(にょぼん)」刑で、「遠島(島流し)」がふつうであるが、日潤には「密通」のほか、「堕胎」や忍者屋敷まがいの違法な家屋があり、関係した女が59人など、女犯刑を超えて「死罪」になった。

 

 一方、脇坂は大奥からは御中﨟梅村の部屋方「ころ」を「押込」にしただけで、20人近い大奥と大名家の奥女中は不問にした。

 

 しかし事件決着後、御中﨟梅村は自害し、また延命院通いした12人の奥女中は大奥から追放され、武家奉公禁止になった。延命院事件を身をもって探ったお梛は、裁きが出る前に自害した。

 

監修・文/丹野顯

(『歴史人』10月号「〝大奥〟事件簿」より)

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