旅客機から大変身! 苦戦するイギリスを支えた隠れた名機:ロッキード・ハドソン
第二次大戦アメリカ双発爆撃機列伝 第6回 ~全世界で戦った白頭鷲の使者~
洋上哨戒爆撃機として空からの「Uボート狩り」で活躍

イギリス空軍のロッキード・ハドソン。沿岸を哨戒飛行中のワンカット。本機は爆撃機としては防御力が脆弱だったが、対潜哨戒機としてであれば十分な性能を備えていた。そのため、本機を対Uボート戦に投入することで、より強力な各種の爆撃機を本来の爆撃任務に振り向けることができた。
ロッキード社が開発したL-10エレクトラ双発旅客機を発展させた機体として、同社はL-14スーパーエレクトラを開発。同機は1937年7月29日に初飛行した。当時、ダグラス社のDC-2が旅客機市場で好評を得ており、それへの対抗としての意味合いがあったが、DC-2をベースとして後に世界的傑作機となるDC-3が登場したことで、スーパーエレクトラは成功作とはならなかった。
ところが、ナチス・ドイツの強圧外交により急速に戦雲が垂れ込めつつあったヨーロッパ情勢下、軍用機不足に悩んでいたイギリスは、このスーパーエレクトラを爆撃機に改造することを発案。ロッキード社との協議の末にイギリス向け双発爆撃機ハドソンが誕生し、同空軍への配備が進められた。
だが、機首から前方に向けて固定された2挺と胴体背部後方の旋回銃座の2挺、それに改修された機体の場合は、胴体の左右側面に各1挺の機関銃を装備するという防御火力ではやや脆弱だったため、第二次大戦勃発直前の1939年5月から始まったハドソンの配備は主にコースタル・コマンド(沿岸航空軍団)が対象で、洋上哨戒爆撃機として運用された。
かような次第で、ドイツのUボートによる通商破壊戦で苦境に立たされていたイギリスにとって、ハドソンは危機的な時期における貴重な対Uボート戦力を担った。実際に、本機は空からの「Uボート狩り」を何度も成功させている。
だが一方で、出自が旅客機だったこともあり、ドイツ戦闘機にはまるでかなわないため、一般的な爆撃任務への投入は避けられていた。
また、太平洋戦域ではマレー半島に展開したイギリス空軍やオーストラリア空軍で運用されており、日本機とも戦っている。そして一部の機体は日本軍によって鹵獲(ろかく)されているが、実はハドソンのベースとなったスーパーエレクトラは、日本でも立川飛行機(のち川崎航空機に引き継がれる)によってライセンス生産されており、ロ式輸送機として陸軍航空隊が使用。さらに改修型の一式貨物輸送機も開発され、実戦配備されていた。
1941年になると、アメリカ陸軍航空軍もハドソンをA-28、A-29として採用した。機種番号が異なるのは、装備しているエンジンの違いによる。これらの機体は、イギリス軍の場合と同じく、主に沿岸哨戒に投入された。また、AT-18の機種番号で練習機型も生産され、標的曳航などにも用いられている。
一方、海軍はPBO-1として少数機を洋上哨戒に投入。以降の洋上哨戒機を計画する際の参考としている。