第二次大戦初期にフランスやイギリスを支え終戦まで活躍した万能攻撃機:ダグラスA-20ハヴォック
第二次大戦アメリカ双発爆撃機列伝 第4回 ~全世界で戦った白頭鷲の使者~
スキップ・ボミング(反跳爆撃法)を実施し日本に大損害を与えた名機

第二次大戦初期にフランスやイギリスを支え終戦まで活躍した万能攻撃機:ダグラスA-20ハヴォック
1936年3月、アメリカ航空産業界が生んだ鬼才のひとり、エドワード・ヘンリー・ハイネマンは、ノースロップ社で自主開発の機体として双発軽爆撃機(のちに攻撃機とされる)の設計に着手した。この機体はモデル7Aと命名された。
しかし、モデル7Aは設計のコンセプトが定まったところで、その開発が中止となった。なぜなら、アメリカ陸軍航空隊がより高い要求性能仕様を発布したことに加えて、1938年にダグラス社がノースロップ社を吸収し、社内の体制が大きく変化したからである。
実はハイネマンは、かつて1年程度ダグラス社で仕事をしたものの、その後ノースロップ社に移籍した経歴があり、今回の会社吸収劇により古巣に戻ったような形となった。
さて、ノースロップ社を吸収したダグラス社は、前者で開発が進められていたモデル7Aを発展させることにした。もちろん主任設計技師はハイネマンである。こうして誕生したのがモデル7Bだった。同機は1938年10月に初飛行したが、これにフランスが強い興味を示した。というのも、当時すでにヨーロッパにはドイツの強圧外交に端を発した戦雲が垂れ込めており、フランスは急ぎ軍備の拡張を図ろうとしていたのだ。
そこでダグラス社はモデル7B を発展させたDB7を開発。フランスは同機を100機発注し、さらに1938年10月には、270機を追加発注している。同空軍における同機の部隊運用は1940年1月からとなった。しかし同年6月、フランスはドイツの軍門に下った。その結果、まだ同国に送られていなかった121機がイギリスに送られ、ボストンIの愛称を付与されて同空軍で使用されることになった。
操縦性に優れ、堅牢で被弾にも強く、整備が容易なDB7に高い評価を下したイギリスは、エンジンが強化された後期生産型のDB7も求め、ボストンIIの愛称で運用。さらにその後の各型もイギリスに供与され、最終的にボストンVにまでになった。そして、一部の機体は夜間戦闘機に改造されてハヴォック(これもIとIIがある)と呼ばれた。
アメリカ陸軍航空隊も、1939年6月にDB7シリーズをA-20として制式化。イギリスが本機の夜戦型に付けたハヴォックの愛称を「逆輸入」した。
A-20シリーズには、機首が透明風防となっていてそこにノルデン爆撃照準器が備えられ爆撃手が乗り込む爆撃型だけでなく、金属製機首に変更して6~8挺の50口径機関銃を搭載した低空襲撃型や、レーダーを装備した夜戦型のP-70なども開発され、第二次大戦の全期間を通じて大活躍した。特に太平洋戦域では、A-20低空襲撃型はB-25低空襲撃型と共にスキップ・ボミング(反跳爆撃法)を実施し、日本の輸送艦船に大損害を与えている。
なお、このDB-7シリーズはオランダやソ連にも送られて運用され、高評価を得ている。