地上襲撃や日本本土B-29迎撃戦で本領を発揮:二式複座戦闘機「屠龍(とりゅう)」(川崎キ45改)
太平洋戦争日本陸軍名機列伝 第7回 ~蒼空を駆け抜けた日の丸の陸鷲たち~
長距離爆撃機の護衛や軽爆撃機の代わりとして活躍した双発戦闘機

カモフラージュ塗装を施された「屠龍」。双発戦闘機として開発されたが、空戦では単発戦闘機にはかなわなかった。しかしB-29との戦いには善戦している。
航空史上において単発戦闘機が一応完成の域に達した1930年代後半、双発戦闘機のプランが注目されるようになった。
双発戦闘機は、運動性能では単発戦闘機に劣る。だが当時、それまでのドッグファイト(格闘戦)に代わるヒット・アンド・アウェー(一撃離脱戦)が発案され、エンジン出力が大きい双発の高速機なら、この戦い方で単発戦闘機に対抗できるのではないかと考えられた。
双発化のメリットは他にもある。機体が大きくなるので燃料搭載量が増え、結果として長時間・長距離の飛行が可能となるので、長距離爆撃機の護衛のみならず、敵領空深くに侵攻して長時間在空し、航空優勢を獲得することもできる。また、ペイロード(搭載量)が大きいのでの爆弾やロケット弾を搭載し、軽爆撃機の代わりとしても運用可能だ。
と、良いことづくめのように思われた双発戦闘機は、アメリカ、イギリス、ドイツなどで実用化されていた。このような国際情勢に鑑み、日本陸軍も双発戦闘機に強い興味を示すことになる。そこで川崎航空機に開発を求めた。
だがエンジンの出力不足、設計上の欠点などにより、開発はなかなか進捗しなかった。しかし設計を改め、信頼できるエンジンを搭載したキ45改が登場し、太平洋戦争勃発後の1942年2月に、二式複座戦闘機(にしきふくざせんとうき)「屠龍」として採用された。
ところが、やはり単発戦闘機との空戦では弱かった。それでも軽爆撃機の代行としては優秀な成績を示し、大口径機関銃を搭載した地上襲撃機として活躍することになった。
その後、「屠龍」は戦闘機として再び脚光を浴びることになった。それは、ボーイングB-29スーパーフォートレスを迎撃する本土防空戦である。
搭載した大口径機関銃は威力が大きいので頑丈なB-29でも撃墜しやすく、また、上向き銃を備えて下方からB-29に忍び寄り撃墜することも行われた。さらに「震天制空隊」や「回天隊」の装備機として、空対空体当たり攻撃にも参加している。
だが、硫黄島が占領されてそこからノースアメリカンP-51マスタング戦闘機がB-29の護衛に出撃するようになると、「屠龍」の活躍の場は夜間に限られることになった。
なお、連合軍は本機をKawasakiの“Nick”というコードネームで呼んでいた。