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平時の価格重視が生んだ「安かろう、悪かろう」の代名詞:ダグラスB-18ボロ

第二次大戦アメリカ双発爆撃機列伝 第5回 ~全世界で戦った白頭鷲の使者~

DC2旅客機をベースに当初は信頼性も高かったが…

編隊飛行中のB-18ボロ。まだアメリカが参戦する以前の平和な時代であることを示す、機体全面が無塗装の銀色に輝いている。

 1930年代前半、アメリカ陸軍航空隊は新しい多発爆撃機を求めていた。しかしこの時期は世界恐慌の最中であり、特に同国はその元凶となっていたため、軍事費にも大きな抑制がかけられていた。

 

 こういった流れの中で、ダグラス社は陸軍航空隊が航空機メーカーに発布した要求性能仕様を受領すると、それへのエントリーを決めた。当時、爆撃機といえば相応の防御火力と防御装甲を備え、大量の爆弾を長距離運べる機体と考えられており、同社はこの目的に合致する機体を、すでに生産が行われていた自社製の旅客機をベースとして開発することにした。

 

 このベースとなる機体がDC2旅客機だった。後に超ベストセラー旅客・輸送機となるDC3の原点となった機体で、当然ながら性能的にも優れていた。そこで胴体部分だけを爆撃機として完全に再設計し、これにDC2の主翼と尾翼、それにエンジンを組み合わせた、社内番号DB-1を生み出した。

 

 新設計の胴体部は、爆弾倉を備える構造とされたため、DC-2のような低翼ではなく、胴体下部が下に張り出したため中翼となっている。

 

 初飛行は19354月で、後に採用されてB-17となるボーイング社のモデル299や、マーチン社のモデル146と競合試作となった。その結果、DB-1はすでに生産されているDC-2と共通の部分が多く、これが信頼性の高さとコストダウンにもつながったため、陸軍航空隊は本機をB-18として制式化し、ボロの愛称を付与した。このボロとは、フィリピンなどで多用されている長い山刀のことである。

 

 かくして、廉価であることと手頃な性能を評価され制式化されたB-18は、1937年から実戦部隊への配備が開始された。ところが、まさに「安かろう、悪かろう」の象徴のごとく、すでにDC-2からの発展ということで構造的に発展性が乏しく、アメリカが太平洋戦争に参戦する1941年の時点では、すでに旧式化していた。

 

 そのため、太平洋戦争の緒戦であるフィリピンの戦いでは、かなりの機数が日本軍によって撃墜、撃破されている。なお、日本軍は同地で本機を複数鹵獲(ろかく)しているが、低性能なせいで再利用されることもなかった。

 

 かような次第で、アメリカが開戦すると陸軍航空隊では早々にB-18を爆撃部隊から引き揚げて対潜哨戒機(たいせんしょうかいき)へと改造し、敵の戦闘機や強力な対空砲火に立ち向かわなくてもよい任務に投入し直した。しかしそれでも第一線で運用されたのは1943年頃までで、以降は練習機や輸送機などとして、二線での運用が続けられた。

 

 廉価であることに主眼を置き、軍用機としての重要な要件、特に将来的な発展性に目をつぶってしまうと、かえって貴重な軍事費の無駄遣いとなりかねないことを示す典型的な教訓となったのが、このB-18であった。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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