土方歳三、菅原道真、井伊直弼の「辞世の句」─英雄たちの覚悟と人生観─
今月の歴史人 Part.3
辞世とは、この世に別れを告げることを言い、人がこの世を去る時に詠む句である。ここでは、日本の歴史に名を残す偉人たちの辞世を詠み、彼らの果たせなかった想いや生き様を紐解き、その人生観を学んでいこう。(『歴史人』9月号「『しくじり』の日本史 ─70人の英雄に学ぶ失敗と教訓─」より)
■死後も守り続けることを誓う武士の言霊『土方歳三』

土方歳三肖像(国立国会図書館蔵)
たとひ身は 蝦夷(えぞ)の島根に 朽ちるとも 魂は東の 君やまもらむ
土方歳三は新撰組局長だった近藤勇を副長として支え、鉄壁の集団と武闘の組織を築いた。反幕府勢力と戦い続け、 鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争で各地を転戦し、やがて成立する北海道共和国に参画。新政府軍と戦った箱舘戦争でも奮戦するが、銃弾を受けて絶命した。 辞世の句では「この身は蝦夷(北海道)の島根 (箱舘)に朽ち果てたとしても、 魂は江戸の将軍を守るだろう」 と、不屈の誓いを立てている。 農民の出だが、徳川将軍に忠誠を貫く最後のサムライであった。
■慣れ親しんだ梅に別れを告げた『菅原道真』

「月百姿」の菅原道真/国立国会図書館蔵
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな
菅原道真は、文章博士という学問の最高位に就き、さらに宇多天皇に重用され醍醐天皇の時代には右大臣まで上りつめた。これを脅威とみたのが藤原摂関家の出で、左大臣の藤原時平である。道真は時平の讒言にあって、九州大宰府に左遷される。自邸を去る時、「梅の花よ、春に東風が吹いたら、その香りを私の所に送ってくれ。決して春を忘れるなよ」と梅に託した痛切な歌を詠んだ。道真は2年後、大宰府で失意と悲憤のうちに病死した。
その後、朝廷ではさまざまな厄病が起こり、道真の怨霊のせいだとされた。それを鎮めるために北野天満宮が創建される。梅の花に託した道真の怨念は、長年にわたって日本人の心を奪い続けたのである。
■私の決断はいずれ分かってもらえるはずだと綴った『井伊直弼』

井伊直弼銅像
咲きかけし 猛き心の一房(ひとふさ)は 散りての後ぞ 世に匂ひける
幕府の大老で、日本を開国に導いた指導者 であった。開国に反対する者を徹底的に弾圧する安政の大獄を唱道した。この歌は水戸藩士らによって桜田門外で暗殺される前日に詠んだものである。「咲きかけた桜のように、 私が下した大決断は、私の死後にかぐわしく匂って、その良さを知ることになろう」と、まるで自分の横死を予見したような辞世である。直弼は茶道や禅道に精通しており、「一期 一会」の名言は、その深い境地を伝えている。
監修・文/武田鏡村