戦道具としてだけではなく”美”も追及した細川家の武具たち『美しき備え ―大名細川家の武具・戦着―』
編集部注目の歴史イベント
このたび、永青文庫では、永青文庫に伝わる大名細川家の歴代藩主が所有した武具を題材にした「美しき備え ―大名細川家の武具・戦着―」展が開催される。本展ではその中から、2代・忠興(1563~1645)が考案した具足形式「三斎流」の甲冑や、3代・忠利(1586~1641)所用と伝わる変わり兜、鳥の羽根を全面に装飾した珍しい陣羽織など、美的素養を有する藩主たちが誂えた武具・戦着を、最新の調査結果を交えながら紹介している。本展を通し、戦の道具に託された武家男性の洒落た一面を垣間見ることができる。
名門・細川家の武具・戦着 ─戦道具に追求した“美”─
戦国時代、武将は数多くの武具・戦着を誂えた(武具とは鎧・兜などを、戦着とは陣羽織・鎧下着などを指す)。それらは、命を守るための優れた機能性だけでなく、外見や意匠にも独創的な工夫が凝らされ、軍や自らの士気を高める役割を果たした。
大きな戦乱がなくなり、泰平の世が続いた江戸時代も、武家の格式を象徴的に示す大切な道具として、代々が創意あふれる武具を備え続けた。そのため大名家には、武将の美意識を反映した個性豊かな武具・戦着が今も残されている。
第1章 武将のシンボル

重要文化財「白糸褄取威鎧」/細川頼有所用 南北朝時代(14世紀) 永青文庫蔵
戦国時代、戦場で活躍した細川家には、歴代藩主の甲冑をはじめとする武具が数多く伝わっている。なかでも「三斎流」と呼ばれる甲冑は、2代・忠興(1563~1645)が自らの実戦経験をもとに考案したもので、歴代の藩主がこれを踏襲したことから、細川家を象徴する武具となった。
第1章では、「三斎流」の甲冑のほか、始祖・頼有(1332~91)が建仁寺塔頭永源庵に納めた「白糸褄取威鎧」(重要文化財)など、細川家が代々お家の宝としてきた甲冑や鞍などを紹介している。
第2章 命がけのおしゃれ
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「薄茶緋羅紗地陣羽織」 細川忠利所用 江戸時代(17世紀) 永青文庫蔵
武将にとって陣羽織や鎧下着といった戦着はおしゃれアイテムのひとつであった。鎧の上に着用する陣羽織には、高い実用性と視認性が重視され、外国産の裂が用いられたり、奇抜な意匠が取り入れられるなど、武将の個性が反映されている。また、鎧の下に着用する鎧下着は、表からはあまり見えないにも関わらず、細かな模様を華やかに表すなど、凝った意匠のものがつくられた。これらの戦着は、戦がなくなった時代にも、甲冑と同じように代々が備えた。
第2章では、南蛮服飾の影響がみられる陣羽織や、染の技法で模様を表した鎧下着など、細川家の人々が着こなした戦着を解説している。
第3章 武将のこだわり
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「紫糸素懸威鉢巻形兜」 細川忠利所用 江戸時代(17世紀) 永青文庫蔵(熊本県立美術館寄託)
江戸時代になると、各藩で趣向を凝らした様々な拵が生み出された。熊本藩では、2代・忠興考案の拵を手本として「肥後拵」がつくられた。また、熊本で展開された「肥後金工」は、細川家が抱えた金工師によってその土台が築かれ、鐔や縁頭に多くの優品が残っている。
第3章では、刀装具のほか、3代・忠利(1586~1641)所用の変わり兜など、藩主所用のバラエティー豊かな武具を展示している。
第4章 教養と嗜み
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「掛分茶碗 銘 念八」 江戸時代(17世紀) 永青文庫蔵
武家社会で重んじられてきた茶の湯や能は、武将たちにとって必須科目だった。そのため、それらにまつわる品々は大名家にとって欠かせないものであった。細川家には茶道具や能道具が多数伝来していることから、細川家の人々が武芸だけでなく、文化・ 芸能においても、高い見識と技能を身につけていたことがうかがえる。
第4章では、参勤交代に藩主が携行させた茶碗や、8代・重賢 (1720~85)自筆と伝わる能の謡本など、細川家の殿様が愛用した品々を見ることができる。
【開催概要】
主 催 永青文庫
特別協力 熊本県立美術館
開催期間 2021年8月17日(火)~9月20日(月・祝)
月曜日休館 (但し9/20は開館)
開館時間 10:00~16:30 (入館は16:00まで)
会 場 永青文庫
〒112-0015 東京都文京区目白台1-1-1
価 格 一般1000円、シニア(70歳以上)800円、大学・高校生500円
※中学生以下、障害者手帳をご提示の方およびその介助者(1名)は無料