知っているようで知らなかった『遊郭』の遊び方─妓楼の格差と初回来店の決まり事─
いま「学び直し」たい歴史
幕府公認の遊郭吉原。江戸の男たちの夢の場所であり、優艶な女性たちが募る快楽街である。ここでも高級店と安価で楽しめる店があったことをご存じだろうか? 多数の妓楼が立ち並ぶ妓楼にも格差があり、楽しみ方は人それぞれであったという。その詳細を紹介していこう。([『歴史人』電子版] 大人の歴史学び直しシリーズvol.4 「江戸の遊郭」より)
高級妓楼と庶民が遊べる妓楼は違った⁉
妓楼は規模と格の差で三種に大別された

中見世の1/4格子籬は、妓楼の規模の違いであり同時に格の違いでもあった。中見世とはいえ、吉原は他の遊里にくらべるとやはり高く、金のない男は見物だけですました。(国立国会図書館蔵)
妓楼(ぎろう)は、遊女や奉公人の生活の場であると同時に、客にとっては遊興の場だった。
吉原の妓楼は大見世(おおみせ)、中見世(なかみせ)、小見世(こみせ)の三種に大別されたが、すべて壮麗な建物だった。
この三種の違いは、規模はもとより、格の差でもあった。これにともない、当然ながら揚代(料金)にも違いがあった。
ただし、規模や格の違いはあっても、妓楼の基本的な構造はほぼ同じだった。
すべて二階建てで、一階は妓楼の奉公人の執務と生活の場と言ってよい。
入口の暖簾をくぐると、広い土間になっていて、台所もある。
客は妓楼に足を踏み入れた途端、煮炊きの匂いに迎えられたことになろう。いわば舞台裏を最初に目撃することになるが、見方によっては活気であり、客は胸をワクワクさせたであろう。
土間に履物を脱いで板の間にあがると、すぐに二階に通じる階段があった。
また、入口や台所、階段を見通せる場所に、内所(ないしょ)と呼ばれる楼主の居場所があった。楼主は内所に座り、遊女や奉公人、客の動きに目を配っていたわけである。
ここまでは、客の目に見える範囲だが、その奥に、多種多様な部屋があった。
まず、もっとも奥まった場所に、楼主一家の部屋があった。奉公人も近づくことを許されない、プライベート空間である。
そのほか、各種奉公人の部屋があったが、若い者や禿(かむろ)などは雑居で、雑魚寝だった。
さらに、共用の便所と、内風呂があった。
妓楼特有の部屋としては、行灯部屋と張見世がある。
行灯部屋は、建物の中でもっとも日当たりの悪い、湿っぽい場所にあった。朝になって行灯を回収し、収納しておく部屋である。
病気になり、回復の見込みのない遊女はこの行灯部屋に運び込まれ、ほとんど放置されるのが常だった。
また、揚代を持っていなかった客が、迎えの者が金を持参するまで、行灯部屋に閉じ込められることもあった。
張見世(はりみせ)は、妓楼でもっとも目立つ場所で、いわば晴舞台と言えよう。
通りに面して設けられた座敷で、格子張りになっていた。この張見世に、遊女たちは階級に従い、豪奢な衣装を身にまとい、ずらりと居並んで座った。
男たちは通りに立ち、格子越しに、張見世に座っている遊女をながめ、相手を決めた。
冷やかしの男たちにとっても、格子越しに遊女を見て、勝手な品評をするのがなによりの楽しみだった。
初会の客は引付座敷に通された

吉原妓楼2階の遊女の部屋と遊興の場妓楼内部を俯瞰で描いた『吉原遊郭娼家之図』。酒宴で騒ぐ客と芸者から客との床入りが終わった後の着物がはだけた花魁などが見られる。(国立国会図書館蔵)
いっぽう、二階は遊女と客の空間である。
客が酒食を楽しむのも、遊女と床入りするのも、すべて二階だった。
四方に走る長い廊下に沿って、数多くの遊女の部屋がある。
そのほか、酒宴を開ける広い座敷も多数あった。
妓楼に特有な部屋としては、引付座敷と遣手部屋がある。
引付座敷とは、初会(初めて)の客が遊女と対面をする部屋で、盃を酌み交わす儀式が行われた。その後、宴席となったり、床入りとなったりする。
遣手(やりて)部屋は、階段のそばにあり、遣手は部屋にいながら、客や遊女の動きに目を配っていた。遣手は、いわば遊女の監督係である
先述した大見世・中見世・小見世のほかに、吉原の隅には、河岸見世(かしみせ)と呼ばれる低級な妓楼があった。
ここは、同じ吉原の区画内にあって別世界だった。
とくに、局見世(切見世)は長屋形式で、安価な遊びができた。

廻し部屋
一晩にふたりといった複数の相手をする下級の遊女たちは、個室を持たないため、廻し部屋といわれる部屋を使用した。(国立国会図書館蔵)
監修・文/永井義男
[『歴史人』電子版]
歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.4
永井義男著 「江戸の遊郭」
現代でも地名として残る吉原を中心に、江戸時代の性風俗を紹介。町のラブホテルとして機能した「出合茶屋」や、非合法の風俗として人気を集めた「岡場所」などを現代に換算した料金相場とともに解説する。