過激すぎる“わいせつ”ショー「見世物」興行 ~名古屋編~
江戸の性職業 #030
■金玉娘、馬と女の交接… いずれも短期間で禁止に

図1『豊年武都英』(手前翰謂喜著、天保10年)国会図書館蔵
江戸では、盛り場や神社仏閣の境内などには、多くの見世物小屋があった。
図1は、見世物小屋の入口の光景。入口で、呼び込みの男が口上を述べている。木戸銭は十三文のようだ。
見世物には他愛ないものや、いかさままがいのものもあったが、中には、猥褻(わいせつ)ショーもあった。近代のストリップショーに近い。
こうした猥褻ショーに出演していた女も、セックスワーカーと言えるであろう。
名古屋における見世物の数々を編年体で記した『見世物雑志』(小寺玉晁著)によると、次のような猥褻ショーがあった。
・文政五年(1822)三月
女のむき出しにした陰部を、客の男に火吹竹で吹かせる見世物が出た。木戸銭は四文。
真顔で吹き、笑わなかったら、景品が出た。
三味線でお囃子弾き、
「やれ吹く、やれ吹く、それ吹く、それ吹く、それ吹く、どしこ、どしこ、どしこ」
と、はやし立てた。
しばらくして、禁止となった。
・文政六年十一月
金玉娘という見世物が出た。
女が裾を広げ、股をひらいて見物人に見せた。
垂れ下がった睾丸の後ろに、玉門(陰部)があった。
・天保三年(1832)七月二十四日
「みゐれ駒」と名付け、馬が女にのしかかって交接する様子を見せる見世物が出た。
まず、女が先に登場し、続いて馬が出てくる。
女が馬のまわりを一、二度まわり、
「これ、お駒さん」
と言うと、馬はひひんと、いなないた。
女が言う。
「おまえ、したいか」
馬はひひんと、いななき、体をかがめた女の背後からのしかかり、陰茎の先から淫水をしたたらせた。
九月二日、興行は禁止された。
以上は、名古屋の興行事情だが、江戸も負けてはいない。
江戸でも、同様な猥褻ショーはおこなわれていた。
(続く)