男の性的好奇心をくすぐる“シロウト女” ~ひっぱり【前編】~
江戸の性職業 #024
■素人女をよそおう新鮮さが大流行

図1『世渡風俗図会』(清水晴風)、国会図書館蔵
世間の風聞を記録した『藤岡屋日記』(藤岡屋由蔵[ふじおかやよしぞう]編)の、天保(てんぽう)十年(1839)四月十二日の項に、次のような記録がある。
天保八年ころから、両国あたりの道端に「ひっぱり」と呼ばれる女が出没するようになった。
みな前垂れをつけ、下駄ばきで夜道に立っていた。
男が通りかかると袖を取って引っ張り、声をかけた。
「もし、どこへでもまいりましょう」
そして、知り合いの家の二階や、居酒屋の二階を借りて情交をおこない、金二朱(にしゅ)とか三朱(さんしゅ)をねだった。
さも、素人の女が生活苦から、やむにやまれず体を売るという演出をしたのである。
素人を売り物にしたのが新鮮だったのか、ひっぱりは大いに受けた。
当初は数人だったのが、いつのまにか百人ほどもの女が毎晩、たむろして男の袖を引っ張るようになった。
その横行ぶりは目に余るというので、ついに天保十年四月十二日、町奉行所が一斉摘発をおこない、三十二人の女を召し捕った。
図1に、ひっぱりの風俗が描かれている。いかにも、貧しい家の女房の雰囲気と言えよう。
ところが、ひっぱりをしていた女たちは、もとはみな、本所長岡町(ほんじょながおかちょう)にある切見世(きりみせ)の遊女だったという。
切見世は簡便な「ちょんの間」の情交を提供する格安の女郎屋(じょろうや)で、長屋形式だった。客がなかなか寄りつかず不景気なことから、がらりと方針を変え、素人女をよそおうことにしたのだ。
切見世の揚代(あげだい)は百文が相場だから、金二~三朱ははるかに高い。もちろん、部屋を借りる先へ謝礼を払わねばならなかったろうが。
しかし、素人女をよそおったのが受けたわけである。
男たちはみな、だまされていたことになろう。
セックスワーカーにも流行があるし、営業的には男たちの性的好奇心をひきつける演出も必要ということだろうか。
『藤岡屋日記』によると、弘化(こうか)四年(1847)、外堀に架かる新し橋や、神田川に架かる和泉橋(いずみばし)の付近に、ひっぱりと呼ばれる年増女が出没した。
男を呼び止めて話がまとまると、自分の家に連れ込んだ。泊まりで金二朱だった。
(続く)