江戸時代の地者「地獄」というお仕事【後編】 ~庶民の男には夢心地! 口コミで大流行~
江戸の性職業 #028
■秘密が守られる出合茶屋には御家人の妻や娘、後家などが登録していた

図1『江戸名所図会』(天保7年)、国会図書館蔵
『我衣』(加藤曳尾庵・かとうえびあん 著)の文政七年(1824)の項に、次のような内容の記述がある。
転び芸者や地獄が横行して目に余るので、五月の初め、町奉行所は各所を摘発し、二百七十六人の女を召し取った。うち、百十二人が牢に入れられた。
中橋や京橋がとくに多かった。
転び芸者とは、客の男と寝て金を得ていた芸者である。
当時、芸者と地獄がセックスワーカーとして人気があったことにほかなるまい。
『甲子夜話続編』(松浦静山 著)に、次のような事件が記されている。
関口の目白不動(新長谷寺)の門前に、数軒の出合茶屋があった。
出合茶屋の亭主たちは相談し、
「いまのままでは、たいして儲からない」
と、近くに住む女と契約して地獄商売をするようになった。
客はひとりで出合茶屋にあがる。客の好みに応じて、茶屋が女を呼び寄せるという仕組みだった。
女のほうでも秘密をたもてるため、近所に屋敷のある御家人の妻や娘、後家などが登録するようになった。
亭主が客にささやく。
「お武家のお内儀がいますよ。若いのがよければ、娘も。年増がよければ、後家さんも。いかがですか」
庶民の男にとって、武士の妻や娘、後家と性行為ができるなど夢心地である。
口コミで広がり、大いに流行ったが、そうなると町奉行所の耳にもはいる。
文政十三年(1830)十月、南町奉行筒井和泉守(つついいずみのかみ)の命を受けて役人が出合茶屋に踏み込み、茶屋の亭主五人と、十六歳から三十五歳までの女十一人を召し捕った。
事件の顛末を記したあと、著者の松浦静山は、奉行所は幕臣の体面をたもつため、女の身元はいっさい公表しなかった、と付け加えている。
つまり、召し取った女はみな出合茶屋の雇われ女だったことにして、御家人の妻女がいたことは隠蔽したのである。
図1は、目白不動が描かれている。この門前に出合茶屋があり、幕臣の妻女が地獄稼業をしていたことになろう。
なお、目白不動は昭和二十四年(1949)、廃寺となった。