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かつての賑わいも幕末期には終焉を迎えた ~ひっぱり【後編】~

江戸の性職業 #025

■揚代も金二朱、三朱の時代から四十八文に

 

図1『岩戸神楽剣威徳』(山東京伝著、文化7年)  国会図書館蔵

 

『きゝのまにまに』の嘉永(かえい)六年(1853)三月十五日の項に――

 

 近年引はりといひて、夜売女ども両国広小路際などに散在して、往来之人を引、此頃ハ本所辺所々に毎夜出居て引、是ハ夜たか又ハ切ミせの打もらされ共也、今日本所にて四十人計召捕はる。

 

――とあり、徐々に、ひっぱりの質が低下していたことがわかる。

 

 夜鷹(よたか)や、取り壊しになった切見世(きりみせ)の遊女たちが、ひっぱりと称して、てんでに男を誘っていたのだ。

 

 ついに三月十五日には、本所で四十人ほどの女が召し取られた。 

 

 そもそも、ひっぱりは道で男を誘う点では、夜鷹と同じである。だが、夜鷹が道端の物陰で性行為をするのに対し、ひっぱりは屋内で情交する。ここに、大きな違いがあった。

 

 だが、幕末になると、夜鷹もひっぱりと称していたようだ。

 

『守貞謾稿(もりさだまんこう)』(喜多川守貞・きたがわもりさだ 著)は、ひっぱりは天保(てんぽう)以前からあったが、幕末期になると――

 

 宿に伴ひ帰るも稀にはこれありと聞くといへども、多くは惣厠に伴ひ立ちて交合するなり。実に浅ましき行ひなり。一交、大略四十八銭ばかりなり。

 

――と述べている。

 

 自分の家に連れて行く場合もあるが、たいていは裏長屋の総後架(そうこうか・共同便所)で、立ったまま情交し、揚代(あげだい)はおよそ四十八文だ、と。

 

 もう、目も当てられないありさまだった。揚代も四十八文であり、かつての二朱(にしゅ)や三朱(さんしゅ)とは比べものにならない。

 

 セックスワーカーとしてのひっぱりは、幕末期にはもう終わってしまった、と言ってよかろう。

 

 というより、ひっぱりも夜鷹も区別がなくなっていた、と言おうか。

 

 図1に描かれているのは、夜鷹である。

 

 夜鷹は強引に男の着物の袖を「ひっぱり」、破いてしまっているではないか。

 

 幕末期には、ひっぱりは、もはや図1のような状態になっていたに違いない。

 

 

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永井 義男ながい よしお

1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。

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