過激すぎる“わいせつ”ショー「見世物」興行 ~江戸編~
江戸の性職業 #031
■「おめこのさね(クリトリス)」で俵や半鐘を吊り上げる

図1『絵本江戸みやげ』(西村重長著)、国会図書館蔵
両国広小路と山下は、江戸有数の盛り場で、見世物小屋や芝居小屋が建ち並んでいた。
両国広小路は、両国橋西詰(西岸)の広場である。山下は、寛永寺のある上野の山のふもとにあたることから、こう呼ばれた。
図1に、両国広小路のにぎわいが描かれている。
『わすれのこり』(安政元年)に、「恥ずべき見世物」として、次のような内容が記されている。
両国広小路や山下に小屋を掛け、興行した。
舞台にふたりの若い女が登場する。
ひとりが着物の裾をはだけて、陰部をむき出しにした。
もうひとりは、先に赤い布で作った陰茎を取り付けた竹棒を持っている。
竹棒を持った女が、陰茎で陰部を突く真似をしながら、
「やれ突け、それ突け、やれ突け、それ突け」
と言いながら踊る。
陰部をむき出しにした女は、
「当ててみるなら、当ててんか」
と言いながら、三味線のお囃子に合わせて、腰を動かした。
紀州和歌山藩の下級藩士酒井伴四郎(さかいはんしろう)は万延元年(1860)、江戸詰となり、五月下旬、江戸に到着した。
その日記(『酒井伴四郎日記』)によると、七月十六日、伴四郎は五人連れで藩邸を出た。
みなで吉原を見物したあと、両国広小路に行き、見世物小屋にはいった。
おこなわれていたショーは、「おめこのさね」で俵や半鐘を吊り上げるというものだった。
さらに、二十歳くらいの女が陰部をあらわにし、男が張方(はりかた)を挿入すると、女があえぎながら腰を使う出し物もあった。
伴四郎は、「いずれも面白し」と感想を記している。
なお、「おめこのおさね」はクリトリスの意味だと思うが、はたして俵や半鐘を持ち上げることができるだろうか。
おそらく俵や半鐘は張子に彩色したものだと思うが、クリトリスに糸を付けて持ち上げたのだろうか。
もしかしたら、膣圧で持ち上げたのかもしれない。
ともあれ、こんな卑猥なショーが両国広小路で堂々とおこなわれ、庶民のみならず、武士までもが見物していた。