頭は猿、手足は虎という怪物・鵺の正体は鬼?
鬼滅の戦史㉖
源頼政(よりまさ)は平清盛に仕え、その引き立てによって高い官位を得たが、安徳天皇を即位させて政治の実権を一手に握った。さすがに、清盛のこの暴挙には我慢がならなかった頼政。以仁王(もちひとおう)に対して、平氏打倒の挙兵を促した(以仁王が主体であったとの説も)。平清盛こそが、鵺(ぬえ)なる怪物だったのか?
天皇に取り憑くおぞましい妖怪
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「木曾街道六十九次之内」「京都」「鵺大尾」/東京都立中央図書館蔵
夜に鳥と書いて、鵺(ぬえ)と読む。空に鳥と書く(鵼)こともあるが、何れにしても、主として広葉樹林などに生息するスズメ目ツグミ科に分類されるトラツグミ(虎鶫)のことである。シーンと静まり返った夜更けに、「ヒィ〜、ヒィ〜」と響き渡るような声で鳴く。どこかもの悲しげな風情が漂うこともあって、暗闇の中でそれを耳にするのは、あまり心地よいものではない。むしろ、鳥肌が立つような薄気味悪ささえ感じそうだ。
この鵺の名は、『古事記』にも登場する。越の国に美しい女がいると聞いた八千矛神(やちほこのかみ/大国主神)が、夜半、その乙女の家を訪れた時のことである。寝屋の板戸を開けようか迷っているうちに、鵺ばかりか、雉や鶏までもが次々と鳴き始めたことで意を削がれ、忌々しく思った…との歌が記されている。この頃まで鵺といえば、身近にありふれた鳥として認識されていたようである。
ところが、鎌倉時代に成立した『平家物語』に登場する鵺は、これとは大きく異なっている。ここでは鳥ではなく、天皇に取り憑くおぞましい怪物として描かれているのだ。その姿が、何とも奇怪。頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎というから凄まじい。ただし、見た目の奇怪さとは裏腹に、鳴き声だけは、かの実在する鳥としての鵺の声とそっくり。奇怪な姿の怪鳥ならぬ怪物が、薄気味悪い声で鳴くのだから、却っておぞましさが増幅してしまうのだ。ともあれ、鵺なる妖怪にまつわる物語を振り返ってみることにしよう。
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源頼政 菊池容斎筆『前賢故実』/国立国会図書館蔵
源頼政が見事退治
鵺の物語が記されたのは、『平家物語』巻第四である。ここでの主人公は、源三位入道こと源頼政(よりまさ)。保元の乱(1156年)や平治の乱(1160年)の勝利に貢献した人物であるが、大した恩賞にもあずからないまま晩年を迎えてしまったという源氏の頭領であった。「人知れず大内山のやまもりは木がくれてのみ月をみるかな」(大内山の山の番人のように、人知れず物陰から帝を拝するだけなのです)という悲哀こもる歌を詠んだことでも知られている。この官位への不満とも受け取れる歌を耳にした平清盛が、永年の忠義に報わんと、ようやく従三位に昇進させたのが、頼政75歳の頃のことであった。
鵺が登場するのは、その30年ほど前、仁平年間(1151〜1153年)のことである。当時兵庫頭であった頼政が、あろうことか、鵺なる妖怪変化の退治を命じられたというのだ。何でも、毎夜丑の刻(午前2時前後)になると、東三条の森の方から黒雲がやってきては、御殿を包み込んで天皇を怯えさせたという。効験あらたかなる高僧貴僧に祈祷させたものの効き目がなかったところから、頼政がその重責を課せられたというわけだ。妖怪相手とあって戸惑う頼政も、勅命とあっては背くわけにもいかず、早速、郎党の井早太(いのはやた)を引き連れて参内。案の定、丑の刻になると、御殿の上に怪しげな雲が湧き出てきた。そこで、意を決して「南無八幡大菩薩」と念じると同時に、エイッとばかりに黒煙目がけて矢を放ったところ、見事怪物に的中。ドッと落ちたところを、井早太がすかさず組み伏せ、刀でめった刺しして仕留めたのである。そこで目にしたのが、前述の如きおどろおどろしい姿であった。
その後、天皇の病も癒えたことで褒美を与えられ、めでたしめでたし〜と、物語を締めくくりたいところである。しかし、実際に記された文面は、「よしなき謀反起こいて、宮をも失ひ参らせ、我が身も滅びぬるこそうたてけれ」(つまらない謀反を起こして、高倉宮をも亡くならせたばかりか、自身も滅びたのは情けないことだ)というものであった。つまり、その後頼政自身までもが謀反を起こし、挙句、身を滅ぼしてしまったというのだ。
平清盛こそが、鵺なる怪物か?
その謀反とは、後白河法皇の第3皇子・以仁王(もちひとおう/高倉宮)が平氏の独裁に反発して挙兵した以仁王の乱(1180年)のことである。平清盛がクーデター(1179年、治承三年の政変)を断行。後白河法皇を幽閉した上、孫にあたる安徳天皇を即位させて政治の実権を一手に握ったことが発端であった。もともと頼政は清盛に仕え、その引き立てによって高い官位を得たものであるが、さすがに、清盛のこの暴挙には我慢がならなかったようだ。以仁王に対して、平氏打倒の挙兵を促した(以仁王が主体であったとの説も)のだ。
ところが、この計画が平氏方に漏れたため、以仁王と頼政は千騎を率いて逃亡。対して平氏側は2万8千騎もの大軍で追いかけ、宇治橋において壮絶な戦いを繰り広げた(実数はもっと少なかったとも)という。
しかし、多勢に無勢、最後は頼政が、臣下の渡辺長七唱(ちょうしちとなう)に首を打たせて幕切れ。首は、石に括り付けられて宇治川に沈められたというから、何ともやるせない。かろうじて平等院から脱出した以仁王も、逃亡中に、矢を射られて討ち取られている。謀反を企てたものの、無念にも死を選ばざるを得なかった頼政。彼にとっては、まさに清盛こそが鵺のごとき妖怪だと、恨めしく思ったに違いない。ともあれ、怪物としての鵺の方は、その後祟りを怖れて船に乗せられて鴨川に流されたとか。漂着したとされる芦屋の人々が、鵺塚を造って弔ったと言い伝えられている。
ちなみに、『鬼滅の刃』では、鬼滅隊の伝令役としての怪鳥・鎹鴉(かすがいがらす)が数多く登場する。多くは鴉であるが、善逸だけは、なぜか雀。その名もチュン太郎と可愛い名で呼ばれている。また、鬼滅隊最年少の時透無一郎(ときとうむいちろう)とコンビを組む鎹鴉は、銀子という名の雌の鴉。無一郎を溺愛するなど、単なる鳥ではなく、それなりの人格を有しているのが特徴的である。いずれも、怪鳥とはいえ、『平家物語』に登場する鵺とは違って、鬼を退治する側。鬼に執着する筆者としては、漂着した鵺に息吹を吹き込んで、現代に蘇らせて欲しかった…との思いもあるが、もはや後の祭り。危害が及ばない限りという条件付きではあるものの、一度目にしておきたかったと思うのである。