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ダイダラボッチ 〜 国土創生に携わった、神以前の偉大な存在

「鬼滅の戦史」第22回

兄の浅間山が妹の富士山に嫉妬?

富士山の土を浅間山に運んだ?!巨人・ダイダラボッチ像(大串貝塚ふれあい公園・茨城県水戸市塩崎町)藤井勝彦撮影

 昔々のお話である。いつのことかは解らないが、浅間山と富士山が兄と妹の間柄であった時のこと(ここでは真偽は問わない)である。兄(浅間山)は妹(富士山)の背の高いことを妬んで、妹に少し山を削って土を分けてくれるよう、ねだったという。妹は仕方なくそれに同意。巨人・ダイダラボッチに頼んで、土を運んでもらったとか。巨人は、大きな前掛けに土を乗せて、せっせと運んだようである。ところが、怒りん坊の兄は、作業がはかどらないことにイライラ。腹を立てた挙句、ついには文字通り爆発(噴火)してしまったというのである。

 

 もちろん、今時こんなお話を真に受ける人はいないだろうが、日本全国いたるところに、似たような巨人伝説が言い伝えられていることまで無視するわけにはいかない。かの民俗学の巨匠・柳田國男でさえ、「ダイダラ坊の足跡」なる一文を記し、この巨人伝説について考察していることからみても、ただの作り話と一笑に伏すわけにはいかないのだ。

 

縄文時代前期に多くの縄文人が暮らしていたとみられる大串貝塚(茨城県水戸市)藤井勝彦撮影

ウルトラマンよりも遥かに巨大?

 

 では、どのような巨人伝説が言い伝えられているのか、もう少し見てみることにしよう。よく知られるのが、茨城県水戸市で発掘された大串(おおぐし)貝塚を舞台とするダイダラボウ(ダイダラボッチ)の物語である。大串貝塚といえば、縄文時代前期に多くの縄文人が暮らしていたとみられる貝塚遺跡。ヤマトシジミやハマグリ、カキ、アワビなどの貝殻が積もり積もった丘が発掘されている。

 

 この貝殻の山を築いたのが巨人であった…とまことしやかに書き記すのが、奈良時代初期の和銅6(713)年に編纂されたと思われる『常陸国風土記』である。足跡だけでも、長さ40歩(約72.8メートル)、幅20歩(36.4メートル)もあったという。ただし、尿の穴(小便を放ってできた穴のことか)の径も20歩(同)あったというあたり、何やら胡散臭さが鼻について気になるところではあるが…。

 

 ともあれ、足の大きさからザッと見積もってみれば、おそらく300メートルをも優に越える巨人だったはず。かのウルトラマンでさえ身長40メートル(ウルトラマンキングは58メートル)だから、無敵を誇る正義のヒーローさえ、いとも簡単に踏み潰せそうな巨大さだ。

 

 ただし、大串遺跡の上に築かれたダイタラボウ像の方は、高さ15メートル25センチと、少々小ぶり。それでも、奈良の大仏(座高約14.7メートル)よりも大きいというから恐れ入る。

 

 『風土記』によればこの巨人、丘の上に座りながら、手を伸ばして浜辺(海岸線は、現在よりずっと内陸にあった)の蜃(大蛤/おおはまぐり)をほじくって食べたとも。その食べ残しの貝殻が積もって丘になったというのだ。普通の人間が食べ残した貝殻だけで、こんな大きな丘ができるわけがないとの思いが、巨人伝承に繋がっていったのだろう。

 

 また、武蔵国つまり現在の東京都、埼玉県、神奈川県にも、巨人伝説が数限りなく伝えられている。東京都世田谷区の代田橋の名は、ダイダラボッチが橋を架けたというのが由来。杉並区の善福寺池や三鷹市の井の頭池はいずれもその足跡が元になったものとか。大田区南千束の洗足池が巨人の小便が溜まったものと聞かされては、ボートに乗る気まで削がれてしまいそうである。ここでも、無謀ながらもその身長を推測してみれば、1キロメートル以上もの超巨人像が浮かび上がってしまう。何とも驚くべき数値という他ない。

 

畏怖すべき存在を巨人に投影

 

 ところが…である。仮に身長1キロメートルもの巨人がいたとしても、まだまだ、たかが知れている。実はこれよりも遥かにスケールのでかい巨人像が、誰もが知る歴史書に、堂々と記されているのだ。いうまでもなく、『古事記』や『日本書紀』がそれ。改めて読み返してみれば、国土創生に携わったイザナギとイザナミこそが、空前絶後の大きさだったことに、思いが至るはずだ。

 

 二柱が「なりなりてなり余るところ」を「なりなりて合わざるところ」に差し入れて夫婦のかためをした後に生まれたのが、大八洲(おおやしま)と呼ばれる日本列島だったというのだから、想像を絶する大きさだったという他ない。『出雲国風土記』に記された「国引き神話」にも、八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)が、志羅紀(新羅)や高志(越)の三埼などを「土地よ来い、土地よ来い」と引いてきたことを記しているが、それさえ、この国土創生に寄与した二柱の大きさには、遠く及ばない。

 

 もちろん、神話そのものが史実であるわけもなく、何らかの事象を象徴的に語ったものであることはいうまでもないが、それらがいずれも、巨人伝承に彩られていることは注視しておくべきだろう。太古の人々(縄文時代も含め)が、ありとあらゆるものに精霊が宿って人々に災をもたらすものと恐れていたことは想像できそうだが、さらに畏怖すべき存在として恐れていたのが巨人だったのではないか? 目に見える大きさをもって、その霊力の大きさを言い表したのではないかと思えるのだ。

 

 それが神とみなされるようになるのは弥生時代に入ってから。大陸の進んだ思想に影響されたことによるものであったことは間違いなさそう。さらに、『記紀』に記されたような人格神としての神の名を与えられて祀られるようになるのは、おそらくヤマト王権が国としての体裁を整え始めてからのことだろう。大きな社を設けられて常時祀られるようになるのは、さらに後のことと考えられるのだ。

 

 ちなみに、『鬼滅の刃』に登場する巨人といえば、何本もの手を持つ異形の手鬼や、脱皮によってひときわ大きくなるという那田蜘蛛山(なたぐもやま)鬼一家の父が挙げられるが、いずれもダイダラボッチに比べれば遥かに小粒としか言いようがない。つまるところダイダラボッチとは、もはや鬼の概念を遥かに飛び越えた、しかも、神以前の偉大な存在と言わざるを得ないのである。

 

(次回に続く)

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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