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藤原氏にも鬼がいた!〜藤原千方(ふじわらのちかた)の四鬼

「鬼滅の戦史」第17回

安和の変で没落、鬼の軍勢を駆使し朝廷に反旗

実在するのか⁉ 藤原千方『書画五十三次』/国立国会図書館蔵

 藤原千方とは聞き慣れない名前であるが、平将門討伐で功を成した藤原秀郷(ひでさと)の孫、つまり、実在の人物である。秀郷は近江三上山に潜む巨大な百足を退治する側の武将としても知られているが、その孫であるはずの千方はといえば、逆に退治される側の鬼に与した武将としてその名が知られるところである。

 

 伝えられるところによれば、金鬼(きんき)、風鬼(ふうき)、水鬼(すいき)、隠形鬼(おんぎょうき)という名の四鬼(よんき)を率いて、伊賀、伊勢において謀反を起こしたとか。その父・千常(ちつね)は鎮守府の将軍で、千常の兄・千晴は、藤原氏による他氏排斥事件ともいうべき安和の変(969年)に加担していたとして隠岐に流させられた人物。一門の中でも、討伐する側とされる側に明暗が別れたようである。

 

 ともあれ、千方は朝廷に反旗を翻した人物として名を刻まれることになった…と、ここまで記したところで、何やらおかしいことに気がついた。秀郷といえば、下野国および武蔵国の国司として関東に勢力を張っていた武将。それから数代にわたって鎮守府将軍に任じられ、同地域に勢力を張り続けていた一族のはずである。その孫にあたる千方だけが、よりによって何の繋がりもなさそうな伊賀や伊勢の勢力を率いて反旗を翻すことなどあり得るのだろうか? もしかしたら鬼を率いて反旗を翻した千方なる人物は、実在する秀郷の孫である千方とは別の、つまり創作上の人物と考えた方が良いのではないか?と、思うのである。

 

一首の和歌を詠んだだけで撃退

 

 ともあれ、ここで紹介するのは、鬼を率いた伝承としての千方である。その詳細を記すのが、軍記物語として知られる『太平記』(第十六巻 日本朝敵事)であった。後醍醐天皇の即位から南北朝時代に至るまでの約50年間の事象を記した史書ではあるが、信じがたいような奇怪な物語が記されることもある。その一つが、ここで紹介する千方と四鬼の物語なのである。

 

 その主人公である千方の人物像は詳しく語られることはなかったが、鬼に関しては、以下のように記されている。まず、金鬼は矢を射ても射抜くことが出来ないほどの硬い体を持ち、風鬼はどんなに堅牢な城でも吹き飛ばすことができるほどの強い風を吹かせ、水鬼は水を自在に操って洪水を起こして敵を殲滅(せんめつ)させることができた。最後の隠形鬼に至っては、隠遁(いんとん)の術を駆使して敵を不意打ちするという、まるで『鬼滅の刃』に登場する愈史郎(ゆしろう/目隠しの術が得意技)のような存在であった。この四鬼を千方が自在に操って、朝廷に反旗を翻したというのである。その対峙する側の将軍として派遣されてきたのが紀朝雄(きのともお)であるが、これまた伝説に登場する千方同様、創作上の人物であった。

 

 ともあれ、鬼との対決とあらば、空前絶後の奇抜な戦いぶりが期待できそうだが、実のところ、拍子抜けするような結末を迎えている。なんと、紀朝雄が鬼たちに対して、たった一首の和歌を詠んだだけで、鬼たちを退散させたというのだ。その歌というのが、「草も木も 我が大君の国なれば いづくか鬼の 棲なるべし」というものであった。直訳すれば、「草も木も、全てこの世のものは天皇が治めているのだ。鬼の居場所など、どこにあるというのだ」ということか。

 

 この歌自体の言霊が霊力を発揮して鬼を仕留めたのか、はたまた単に鬼が反省して退散したのかは定かではないものの、あっけない幕切れであったことは間違いない。鬼が逃げたことで戦力を失った千方も、討ち取られてしまったという。まるで『鬼滅の刃』に登場する魘夢(えんむ/手に目と口がある)が催眠術を駆使するかのような様相であるが、紀朝雄もまた言霊の霊力によって、鬼たちを催眠術にかけて惑わしたのかもしれない。

 

激戦の舞台とされた千方窟

 

 この戦いの舞台となったのが、三重県伊賀市にある千方窟(ちかたくつ)と呼ばれる巨石群である。これが千方の立て籠ったという岩城であるというが、もちろん、真偽のほどは定かではない。それでも、鬼たちが逃げたとされる4つの穴が、まるで奈落の底にでも繋がっているかと思えるような不気味さを漂わせているのが気になるところ。一説によれば、総勢5百の千方軍と討伐軍5千が、半年にもわたって戦い続けたとも。その伝承に沿って、千方窟周辺には、千方が敵兵の首を放り込んだという血首井戸や、井戸に放り込んだ首の化身とされる雨乞石の他、千方軍の城郭の正門跡地といわれる大門跡などが史跡然として存在している。いずれの景観も神秘的であるゆえか、散策を続けるうち、いつしか、さも史実であったかのごとき気分にさせられてしまうのである。

 

 ちなみに、四鬼の伝承は、これで終わったわけではなかった。それから幾年か後のこと、四鬼は奥州南部岩手郡に再び現れたと伝えられている。千方の仇を晴らそうと、鬼たちが決起したのである。ただし、この時は、田村丸こと坂上田村麻呂が5万8千もの大軍を率いて攻撃。あえなく討ち取られている。

 

 なお、この伝説上の人物・千方を伊賀忍者の祖とみなすとまことしやかに語られることもあるが、それは果たしてどうか?むしろ、四鬼が特殊な能力の持ち主であったとの言い伝えを、忍者のイメージアップに利用したという気がするのだが……。

 

(次回に続く)

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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