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役小角~鬼ばかりか神まで呪縛した異能の呪術者

鬼滅の戦史⑬

葛城の地に生まれた実在の人物

前鬼、後鬼という鬼を従えた役小角像

 

 役小角(えんのおづぬ)といえば、伊豆大島に流刑となった際、島から海上を飛行してそのまま富士山にたどり着いて修行したなどの伝承でよく知られる呪術者である。前鬼、後鬼という鬼を従えたばかりか、一言主(ひとことぬし)という名の神まで縛り上げてしまうというほど、法力に長けた者であった。まさに鬼神同様か、あるいはそれ以上の力を有していたと言えそう。これらの伝承だけを見れば、単なる想像上の人物と思われがちであるが、意外にも、実在の人物だったようである。

 

 産声をあげたのは、7世紀前半、仏教伝来(538年)からちょうど百年近く後の634年のことであった。大和国葛城上郡茅原郷 ( やまとのくに  かつらぎのかみのこおり  ちはらのさと)というから、現在の御所(ごせ)市茅原(ちはら)が生誕の地である。そこに伽藍(がらん)を構える金剛寿院吉祥草寺という古刹が、小角の生まれ故郷であった。同寺境内には、今も産湯の井戸が残されている。

 

 父は役大角(えんのおおづぬ)といい、加茂一族ともつながりのある三輪系氏族であったと見られている。ただし、蘇我氏に仕えていたこともあってか、入鹿(いるか)殺害後の蘇我氏衰退につれ、生家の暮らし向きも楽なものではなかったようである。

 

 ともあれ、幼少の頃から山中を遊び場として駆け回っていた小角は、17歳の頃、母の従兄弟の僧・願行(がんぎょう)に誘われて仏門へ。元興寺(飛鳥寺)を修行の場とし、そこで慧灌(えかん)僧上から孔雀明王(くじゃくみょうおう)の呪法を授かったとされる。その後も、箕面、熊野、生駒などの山中で、厳しい行を繰り返し、ついには、神通力まで身につけたとか。「懺悔、懺悔、六根清浄」とひたすら唱えながら山中を駆け回る日々。悟りを得るための厳しい修行に明け暮れたのである。

 

大島から海を駆け抜けて富士山へ

 

 そんな折、事件が起きた。吉野を修行の場としていた頃のことである。小角の名声を頼って、韓国連広足(からくにの むらじひろたり)なる人物が弟子入りしてきたことが発端であった。広足は、弟子入りしたにも関わらず、いっこうに呪術を教えようとしない小角にがっかり。そればかりか、憎むようにも。後に広足が地方官となるや、あろうことか「小角が人々をたぶらかして国を傾けようとしている」と密告したのである。

現在では桜の名所としても知られる奈良吉野

 役人が派遣されて小角を捕らえようとするものの、呪術を駆使するゆえに、容易には捕らえられるはずもなかった。母を人質にしてようやく捕縛。大島に流され、前述のごとく富士山との間を行き来したと続くのである。

 

 以上の伝承が、果たしてどれほど事実を語っているのか確かめようもないが、次に紹介する逸話は、結果としてひとつの真実を象徴的に物語っているので心に留めておきたい。それは、前述の一言主神を縛り上げた話の前段階のお話である。

 

 一言主神とは、もともと葛城地方に勢力を張っていた葛城氏が奉斎する神である。712年に編纂された『古事記』に登場するが、その時の一言主神は、雄略(ゆうりゃく)天皇が「恐れかしこんで」ひれ伏したほど威厳があった。それが、720年に編纂された『日本書紀』では、まるで天皇と対等であるかのごとき対応。さらに時代が下って797年に編纂された『続日本記』では、天皇の怒りを買って土佐へと流されるなど、時代が下るにつれて地位までもが低下していることに注目したい。

 

 そして822年に編纂された『日本霊異記』では、讒言(ざんげん)によって小角を陥れたのが広足ではなく一言主神とした上で、その恨みを晴らさんと、役行者(役小角)がこれを縛り上げたというのであった。それこそが、葛城一族の衰退を物語るものとみなすことができるのである。役小角が産声をあげて修行に励んだ葛城の地。そこに勢威を張っていた葛城氏といえば、仁徳天皇の妃磐之媛(いわのひめ)をはじめ、仁賢(にんけん)天皇に到るまでの大多数の天皇が妃を迎え入れたほどの有力な豪族であった。その衰退していく様相が、各歴史書に象徴的に記されているのである。

大阪からのハイキングコースとなっている葛城山

最強の戦士・黒死牟との共通点とは?

 

 ともあれ、小角自体は、大宝元(701)年6月7日に、この世を去ったようである。齢68歳の時のことであった。五色の雲に乗って天に昇っていったと言われるが、果たして? それから1100年後の寛政111799)年、光格(こうかく)天皇から神変(じんべん)大菩薩の称号を賜ったようである。

 

 ちなみに、『鬼滅の刃』に登場する黒死牟(こくしぼう)といえば、十二鬼月(じゅうにきづき)の頂点に立つ最強の鬼であるが、武勇を誇る弟に嫉妬して、自ら志願して鬼となった者である。数百年にもわたる研鑽(けんさん)を重ねて、ついに最強の戦士とまで讃えられるようになったという。

 

 かたや、山中での厳しい修行の果てに、ついには鬼ばかりか神まで呪縛するほどの呪術者にまで上り詰めた小角。二人には、何か通じるものがありそう。それが「執念」と言えるものなのだろうか。血鬼術という異能の力も、小角の呪術を彷彿とするものがありそうだ。

 

(次回に続く)

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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