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道成寺の清姫~恋心が憎しみに豹変して男を焼殺

「鬼滅の戦史」第11回

度が過ぎれば「とらわれの心」に変貌する恋心

 

「清姫日髙川に蛇体と成る図」月岡芳年筆/東京都立中央図書館

「もがき苦しむほどの一途な恋がしたい!」

 

 そんな風に願う女性も、決して少なくないことだろう。意中の彼氏ができれば、次の段階は、「彼のことで頭がいっぱいで、何も手につかない」ということになるのだろうか。ただしこの恋心も、度が過ぎれば「とらわれの心」に変貌して、良からぬ結末を迎えてしまうのがオチである。思いが遂げられなかった場合、その恋心が一転、憎しみに豹変してしまうことさえ有り得るからだ。憎しみが募った挙句、ついには大蛇と化して男を殺してしまったとの話も伝えられている。それが、道成寺(どうじょうじ)に語り継がれた「安珍・清姫(あんちん・きよひめ)伝説」である。

 

 時は醍醐天皇の御世というから、10世紀も初め頃のお話である。女は紀伊国熊野真砂(まなご)の庄司清次の娘・清姫、男は奥州白河から熊野詣に訪れた僧・安珍である。安珍が参詣の途上、清姫の館に一夜の宿を求めたのが、そもそもの始まりであった。安珍の男ぶりがあまりにもよかったのか、清姫は安珍に一目惚れしてしまう。ただ恋い焦がれるだけなら問題はないのだが、この女性、常識では考えられないほど、行動的であった。何と、その夜、こっそり男の寝床に忍び込み、一夜をともにしようと大胆な行動に出たのである。男の方が驚いたことはいうまでもない。強引に体をすり寄せる女を押しのけ、何とか言い逃れしようと必死であった。つい、「帰路にもう一度立ち寄るから」との思わせぶりな返事をしたのがいけなかった。その時になれば思いが遂げられると、女が喜んでしまったからである。

 

騙されたと知った清姫が激怒

 

 もちろん、それは単なる言い逃れであった。帰路に立ち寄ることなく素通り。そそくさと立ち去ってしまったのだ。待てど暮らせど、男は戻ってこない。と、ここでようやく騙されたと知った女は、恋心が一転して憎しみに。裸足で髪を振り乱しながら必死の形相で男を追いかけるうちに、いつしか大蛇に変貌したのである。

 

 追いかけられていることに気がついた安珍は、道成寺まで逃げ延び、たまたま下ろしてあった釣鐘の中に隠れた。しかし、大蛇が見逃すはずはなく、鐘にどぐろを巻いて取り付いた。炎まで吐いて、鐘ごと焼いてしまったのである。哀れ、安珍は、一片の骨さえ残すことなく焼き尽くされたという。その後清姫は正気に戻ったものの、己の行いに絶望して日高川に身を投げた…というところで幕を閉じるのである。哀れに思った人々が大蛇を引き上げて埋葬したのが、道成寺のすぐ西にある清姫蛇塚だとか。

 

不比等の娘・宮子との関連も

 

 この伝説の舞台となった道成寺(安珍塚がある)とは、和歌山県日高川町鐘巻(かねまき)に現存する天台宗のお寺。大宝元(701)年に文武天皇の勅願によって創建されたという名刹で、境内には安珍塚もある。一説によれば、文武天皇の夫人であった藤原宮子(ふじわらのみやこ)が天皇に願い出て創建されたとも言われている。興味深いのが、創建した理由である。

 

 哲学者・梅原猛(うめはらたけし)氏の著書『海人と天皇』によれば、それは、宮子が当地で生まれた海人の娘であったことに由来するという。藤原不比等(ふじわらのふひと)が彼女の美貌に目を留め、養女とした上で、文武天皇の夫人となるよう仕組んだとも。その際、豪族・紀氏の娘・紀竈門娘(きのかまどのいらつめ)の侍女として宮中に出仕させたのだとか。竈門といえば、『鬼滅の刃』の主人公・炭治郎の苗字が竈門だったことを思い出す。こちらは代々炭焼きを生業としていたというが、史実としての紀竈門娘も、もしかしたら、火と何らかの関連があったのかもしれない。

 

 不比等と県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)との間に生まれた光明子(こうみょうし)が聖武天皇の皇后の地位にまで上ったのに対して、宮子はついに、夫人の地位よりも上ることはなかった。身分の低い海人の娘だったことが影響していたとみられるようである。

 

 問題は、天皇の夫人が海人の娘であったということ。それは「天皇家の権威に関わること」であるため正史には記録されず、道成寺で密かに語り継がれてきたのだという。それゆえ、この寺では、安珍・清姫の話を語る際、「話の合間にこの宮子の話を口伝で必ず挿入する習わし」があったというのである。

 

 宮子は首親王(おびとしんのう・聖武天皇)を産んだ後、37年間も我が子と対面がかなわなかったとされる。通説では、宮子が精神に異常をきたしたからとみられているが、果たして本当だろうか? 子を産んだ後の宮子は、不比等にとって、もはや必要のない人物だったからではないか。宮子は不比等から見捨てられ、宮廷内で悶々とした時を過ごしたのだろう。それゆえに、帰郷の念も抑え難かったに違いない。せめてもの慰めにと、故郷に道成寺を建てることを思い立ったのではないか? それが創建の理由であったという気がしてならないのである。

 

 後世、宮子は、僧・玄昉(げんぼう)と浮名を流したこともあった。それが事実とすれば、宮子の業の深さと哀しみは、伝説に登場する清姫と通じるものがあるのである。

 

(次回に続く)

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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