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世界最先端だった超高空の「目」:F-13長距離高高度写真偵察機

第2次大戦:蒼空を翔け抜けた「スパイ・アイ」 第2回 ~戦況を左右する敵情を探る「空飛ぶ目」 偵察機列伝~

爆弾の代わりにカメラを多数搭載した“B-29”

B-29から派生した長距離高高度写真偵察機F-13。この角度からでは普通の爆撃機仕様のB-29との区別はほとんど付かないが、機体を下側から見上げると、胴体の各部にカメラ用の窓が開口しているので容易に判別できる。

 特に軍事に興味がある方ばかりでなく、多くの人が「ゼロ戦」や「戦艦大和」と並んで、たとえそれがどのような「ヒコーキ」なのかは詳しく知らないにしても、東京を焼け野原にした「ビーニジュウク」の名前はご存知であろう。

 

 今はもう第一線を離れたが、かつて一世を風靡した大型旅客機に「ジャンボジェット(正式名称は「ボーイング747」)」というのがあり、海外旅行の折に乗られたことのある方もきっと多いのではないだろうか。実はこのジャンボジェットを造ったアメリカのボーイング社が第二次世界大戦中に開発生産した超長距離重爆撃機、それが、ボーイングB-29スーパーフォートレス(「超空の要塞」という意味)なのである。

 

 このB-29、ライトR-3350デュプレックスサイクロンという1基で2200馬力も出せるエンジンを4基も積み、当時の日本では、まだ実験的にしか実用化されていなかったターボチャージャーを標準装備。同じく、日本ではまだ実用試作段階だった機内の気圧を快適に保つ与圧システムを量産導入し、そのうえ爆弾を最大で約9トンも積んで高度1万メートル以上を易々と飛ぶことができた。最高速度は約650km

 

 かの零戦は約570kmでとても追いつけず、疾風(はやて)が約660kmでほぼ同等だが、日本の戦闘機はターボチャージャーを持たないので高高度飛行時はこの最高速度を発揮することができず、おまけに高度1万メートル前後ともなると、上昇するだけでもかなり大変だったと伝えられる。

 

 かような次第で、B-29には当時の日本の技術力ではまだ実用化や量産化の域に達していないテクノロジーがかなり使われており、ゆえに同機は、日本から見ればまさに「未来からきた爆撃機」ともいえた。そしてこれを迎え撃つ当時の日本軍戦闘機は、非常な苦戦を強いられたのである。

 

 このB-29の高性能ぶりに着目し、爆弾の代わりにさまざまなカメラを多数搭載した長距離高高度写真偵察機に改造したのが、F-13という機種だ。実はB-29そのままでも写真偵察を行っていたのだが、専門的に改造されたことで、より精密な写真偵察が可能となっている。

 

 いくら各種のカメラを多く積んだとはいえ、それでも爆弾よりもずっと軽いので、爆弾を積んだ普通のB-29よりも高空に上昇できる。おまけに、爆弾の代わりに追加の燃料タンクが搭載できるので、航続距離も延ばすことができた。

 

 一説では、この写真偵察型B-29であるF-13は、戦争中に1機も日本軍に撃墜されていないといわれる。

このF-13は、改良型のF-13Aと合わせて139機が生産され、第二次大戦のあとの朝鮮戦争でも、日本の基地から出撃し活躍したのだった。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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