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日本が世界に誇る戦略偵察機:100式司令部偵察機

第2次大戦:蒼空を翔け抜けた「スパイ・アイ」 第1回 ~戦況を左右する敵情を探る「空飛ぶ目」 偵察機列伝~

優秀な高高度性能により武装司偵も限定生産された

飛行中の100式司令部偵察機。先すぼまりに滑らかに整形されたエンジン・カウリングなど、いかにも空気抵抗の少ない機体形状と飛翔性に優れた各翼の形状が見て取れる。

 ごく簡単に説明すると、最前線の敵情の偵察は戦術偵察と称されるが、さらに敵領内へと侵入して後方の状況、例えば予備部隊の動向、生産施設や交通網などまでを偵察することを戦略偵察という。第2次世界大戦前夜、日本陸軍航空隊は97式司令部偵察機(機体計画番号:キ15)をもって、この戦略偵察に先鞭をつけた。

 

 だが97式司偵は単発なため、敵領空内でのエンジン・トラブルによる墜落や不時着の危険性が危惧された。というのも、偵察機は敵の状況を探るのみならず、味方の状況についても一般の軍用機より詳しい情報を持っていることも少なくないからだ。また、登場当初は優越していた97式司偵の俊足もすぐに陳腐化してしまった。そこで日本陸軍航空隊は、新たなる司令部偵察機を開発したが、それが双発の100式司令部偵察機(キ46)であった。

 

 100式司偵は、高空を高速で飛行することを目的として、空気抵抗をとことんまで削減したスマートで、かつ軽量化された設計が施されている。高速化におけるネックとなっていた空冷エンジンを収めるエンジン周りも、エンジン・カウリング(カバー部分)やエンジン・ナセル(主翼取り付け部)のデザインに細心の注意を払った設計が施された。また、長距離飛行を可能とするため燃料搭載量も一般の双発機と比べて莫大な量となっている。

 

 19409月、100式司偵I型が制式化された。そして、97式司偵に対して新司令部偵察機とも称され、これを略して新司偵と呼ばれることも少なくなかった。

 

 100式司偵は太平洋戦争開戦前夜、マレー半島のイギリス軍やフィリピンのアメリカ軍の状況を探るべく高高度隠密偵察飛行に従事。開戦後も、様々な方面での偵察に好成績を収めた。そのため、海軍も本機の優秀性に着目し、陸軍の司偵飛行隊を傘下に収めるだけでなく、本機そのものを一部の海軍飛行隊に装備させて運用している。

 

 100式司偵は生産中にも性能向上が図られており、II型、III型、IV型と進化発展型が造られている。特にIV型はターボチャージャーを装備して高高度性能が格段に向上した。しかしターボチャージャーそのものの性能の安定化と生産が当時の日本の技術力では荷が重く、わずか4機の試作で終わった。

 

 また、折から実戦配備が始まっていたアメリカの新型重爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレスを迎撃するため、100式司偵の高空における高性能が着目された。そこで本機に20mm37mmの機関砲を搭載した武装司偵が限定生産され、実戦に投入されてB-29を撃墜している。

 

 日本の劣勢がますます顕著化し出した1944年中頃、この100式司令部偵察機と戦闘機の鍾馗(しょうき)、それに爆撃機の呑龍(どんりゅう)を盛り込んだ「鐘馗呑龍新司偵」という歌謡曲がつくられたほど、国民にも知られた傑作機であった。しかしかような名機でも、戦争末期には、ごく一部ながら航空特攻作戦に投入された機体もあったと伝えられる。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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