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遅すぎた軽戦車Mk.VIIテトラーク(イギリス)

第2次大戦:軽戦車列伝 第4回 ~結果として誕生した軽量級戦車の明と暗~

ポンド砲を搭載しながらも取り扱いが容易で空挺戦車として最適の評価

軽戦車Mk.VIIテトラーク(A17)。写真では左端の第1転輪が自動車のように左右に振ることができ、その結果、履帯も曲がって方向転換ができるという珍しい機構を備えている。乗員は3名で最大速度は時速約65キロを出すことができた。

 イギリス陸軍における軽戦車は、カーデンロイド・タンケッテ(豆戦車)に銃搭を載せたMk.I軽戦車で始まった。実はこのカーデンロイド・タンケッテは世界的に販売されたベストセラー小型軍用装軌式車両で、イタリアなどではライセンス生産もされている。

 

 さて、イギリス陸軍のMk.I軽戦車は、その後、Mk.IIからMk.VIまで発展改良されたが、最大でも12.7mmのヴィッカース重機関銃を装備しているだけで、砲を備えた型式はなかった。しかし時代は、軽戦車といえども機関銃だけの装備では心許なくなってきており、砲を備えた軽戦車が求められた。

 

 そこでヴィッカース・アームストロング社は1937年、全く新しい設計の軽戦車Mk.VIIの開発に着手した。

 

 カーデンロイド系が備える従来のボギー式懸架(けんか)装置に代えて、大直径転輪を用いた足回りを配し、車体前部の第1転輪を自動車の前輪のように左右に振ることで方向転換をするという、操作性に優れた装軌式車両としては珍しい操行装置が導入された。

 

 この新型軽戦車は、イギリス陸軍に採用されてA17の参謀本部制式番号が与えられ、テトラークの愛称が付けられた。ちなみにテトラークとは、古代ローマ時代の分割統治者のことで、小型の軽戦車には相応しい愛称といえる。

 

 従来のMk.VIまでの軽戦車が機関銃しか装備していなかったのに対し、Mk.VIIのテトラークは、当時のイギリス軍の主力戦車の備砲と同じ2ポンド砲を搭載していた。だが同砲は、戦時下の戦車の急速な発達のせいで陳腐化が著しかった。

 

 加えて、イギリス陸軍はダンケルクの大撤退により各種装備を多数失っており、その回復に際しては、主力戦車の生産が優先され、軽戦車の生産は後回しにされた。

 

 だがテトラークは使い勝手のよい軽戦車だったため、車体の外周にキャンバス製スクリーンを広げて浮上航行する戦車用の水陸両用デバイス「デュプレックス・ドライブ(Duplex Drive)」の実験車として活躍(202099日掲載DD戦車:水面に浮いてぷかぷかと進むドナルドダック戦車」参照)。

 

 さらに取り扱いが容易で軽量、そのうえ2ポンド砲を搭載している点が空挺戦車として最適と評価され、ノルマンディー上陸作戦では、ゼネラルエアクラフト・ハミルカー大型グライダーに載せられて、空輸により実戦に参加している(2020812日掲載「実戦で初めて戦車を運んだグライダー、ゼネラルエアクラフト・ハミルカー」参照)。

 

 しかし、信頼性や整備性の高さ、また、国内の戦車生産をより高性能の戦車に振り向けたいなどの事情から、イギリス軍はアメリカから供給されたM3/M5スチュワート軽戦車を主力化。

 

 そのため、テトラークはわずか177両(異説あり)の生産で終わった。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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