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ブリストル・ボーファイター×ジョン・ランドール・ダニエル・ブラハム(イギリス空軍)~“ボー”の愛称で初期の夜間戦闘機として大活躍

第2次大戦:エースとその愛機 第12回~誇り高き蒼空の騎士たち、そして彼らが駆った“愛馬”たち~

イギリス汎用双発機のはしり

 

夜戦型のボーファイターMk.IIF。ハーキュリーズ空冷エンジンに代えてマーリン液冷エンジンを搭載した。機首先端に飛び出している矢形のアンテナはAI Mk. IV機載レーダーのもの

 

 イギリス沿岸航空軍団向けの双発雷撃・爆撃機として、ブリストル社はボーフォートを開発したが、当時、イギリス空軍は重戦闘機にも使える双発の汎用機も求めていた。

 

 そこで社内にて検討を加えた結果、ボーフォートの外翼、尾翼、主輪を流用し、内翼と胴体だけを新たに設計すれば双発の襲撃・重戦闘機を生み出すことが可能という結論が得られた。この結果に基づき、社内名称P.156を付与して設計を推進すると同時に、空軍への売り込みが行われた。

 

 これを受けて、空軍としては短期間で戦力化することが可能ならばブリストル社の計画を承認する構えでいたが、19381015日に初飛行したボーフォートが十分に満足すべき水準に達していたことが判明。かような事実に鑑みて、速やかにP.156の試作機生産を承認した。

 

 P.156の初飛行は1939717日だったが、すでに一触即発の状況となっていたヨーロッパ情勢が懸念された。そこで空軍は、ブリストル社に対して急ぎ本機の量産を開始するよう発令。併せてボーファイターの制式名称を付与した。

 

 ボーファイターの開発段階から、空軍はロールスロイス社製液冷エンジンのマーリンやグリフォンの搭載を考えていたが、マーリンは大増産に迫られたスピットファイアやハリケーンに絶対必要であり、グリフォンはまだ開発中で実用化の時期が読めなかった。このような事情から、ブリストル社製のハーキュリーズ空冷エンジンが搭載されることになったのだが、その後マーリンの供給に余裕ができると、それを搭載した型も450機生産されている。

 

「ボー」の愛称で親しまれた本機は、のちに登場した同じ双発機モスキートの高性能ぶりの前に色が霞んでしまう。だが低空襲撃、爆撃、雷撃に加えて、レーダーを搭載した初期の夜間戦闘機としても大活躍しているのが実情である。特に夜戦型は、続くモスキート夜戦型へのニーズの検証役としても重要な位置付けの機体であった。

 

ボーファイター夜戦の先駆者

 

 そのボーファイター夜戦型と深いかかわりがあったのが、ボブの愛称で呼ばれたジョン・ランドール・ダニエル・ブラハム(最終階級:大佐)だ。第1次大戦にパイロットとして出征した経験を有する、神学博士号を持つ牧師の父親の下に192046日、サマーセットのホルコムで生まれた。父親の跡を継ぐように、193712月に空軍飛行士官候補生となったブラハムは、翌年にパイロット資格を得た。

 

 単発戦闘機への搭乗を望んでいたブラハムだったが、空軍は彼をブリストル・ブレニム双発夜戦を装備した夜間戦闘に配属。そのため、当初は何度も転属願いを出したといわれる。初戦果は1940824日のことで、ハインケルHe111。やがて同中隊はブリストル・ボーファイターに装備機が変更され、より高性能の機体に乗り換えることができたブラハムも撃墜記録を徐々に更新していった。

 

 中佐にまで昇進したが、1944625日にデンマーク上空でフォッケウルフFw190に撃墜されてドイツ軍の捕虜となり、そのまま終戦を迎えた。

 

 総撃墜機数は29機で、イギリス空軍の双発戦闘機パイロットのトップ・エースである。しかもそのうち19機は夜間撃墜なので、夜戦エースとしてもキャッツアイの愛称で知られたジョン・カニンガムと並ぶ同空軍第2位の立場にある。197427日のカナダのノバスコシア州で逝去。享年53

 

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過去記事

白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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