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ホーカー・ハリケーン×マーマデューク・トーマス・セントジョン・パトル(イギリス空軍)~航空テクノロジー過渡期の象徴

第2次大戦:エースとその愛機 第10回~誇り高き蒼空の騎士たち、そして彼らが駆った“愛馬”たち~

スピットファイアの相方として

イギリス本土の航空基地の個機ハンガーに駐機したハリケーンMk.I。1940年夏に戦われた航空決戦バトル・オブ・ブリテンでは、ドイツのメッサーシュミットBf109戦闘機に性能面で劣るため、主に爆撃機を狙って戦った。しかし熟練パイロットたちは本機でBf109をかなり撃墜している。

 イギリスの名門航空機メーカーのひとつ、ホーカー社の主任設計技師シドニー・カムは1933年、自社製のフューリー戦闘機を単葉(たんよう)化する計画を立案した。だが、これを受けた空軍は承認を渋り、結局、フューリーとは異なる機体といえるほど大幅に手を加えて試作機を受注。ハリケーンと命名された本機の試作1号機は1935113日に初飛行した。

 

 ハリケーンは、当時最新式の引込脚を備える一方で、機体構造には旧態依然とした羽布(はふ)張りを多用、新旧の技術が混ざり合った、航空テクノロジーの過渡期に設計された機体らしかった。

 

 バトル・オブ・ブリテンの時点で、ハリケーンは数的にイギリス空軍の主力戦闘機の座を占めていた。しかしスピットファイアとほぼ同時期に開発され、同じロールスロイス・マーリン液冷エンジンを搭載しているにもかかわらず、前者に比べて基礎設計が古く、性能的にドイツの主力戦闘機Bf109Eに対抗するのが難しかった。そこでスピットファイアが主にBf109と戦っている間に、本機は主にドイツ爆撃機と戦った。

 

 戦闘機としては限界に達していたハリケーンながら、被弾に強い頑丈な構造を備えていたため、やがて戦闘爆撃機へと転身。イスパノ20mm機関砲4門を装備し、最大1000ポンドまでの爆弾が搭載可能なMk.IICがハリ・ボマー(ハリケーンの戦闘爆撃型の通称)となり、続くMk.IIDは左右翼下にビッカースS40mm機関砲を1門ずつ懸吊(けんちょう)式に装備した地上襲撃型。さらにMk.IV は、40mm機関砲や対地攻撃用ロケット弾も含む各種武装を選択装備できるユニバーサル・ウイングを備え、対空砲火防御としてエンジン下部から操縦席下部にかけて増加装甲が施された、究極の対地攻撃型であった。

 

アテネ上空に散った不世出のエース

 

 ところで、ハリケーンに関わったエースといえば、マーマデューク・トーマス・セントジョン・“パット”・パトル(戦死時の階級:少佐)だ。1914年7月3日に南アフリカのケープ州で生まれ、同空軍の飛行士官候補生となったが、1936年にイギリス空軍に転属。グロスター・グラジェーターを装備する第80中隊に配属され、第二次大戦勃発時には中東に在った。1941年3月にハリケーン装備の第33中隊長に着任したが、4月20日にギリシャのアテネ近傍で撃墜されて戦死した。享年26

 

 大戦初期に撃墜情報確認が困難な中東~地中海戦域で、それも大戦の初期に戦ったため、パトルの総撃墜機数には諸説ある。しかし現在のところ50機プラスという数字が最も信憑性が高いと判断されており、もしそうであれば、彼はイギリス空軍のトップ・エースとなる。

 

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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