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フォッケウルフFw190ヴュルガー×ヨーゼフ“ピップス”プリラー~百舌鳥(モズ)の愛称で重宝された名戦闘機

第2次大戦:エースとその愛機 第5回~誇り高き蒼空の騎士たち、そして彼らが駆った“愛馬”たち~

「刃こぼれしない鉈、何でも屋の軍馬」

 

アメリカ軍によって鹵獲(ろかく)され、フライトテストに供されているフォッケウルフFw190ヴュルガー。識別撮影のため、胴体と主翼のバルケンクロイツと垂直尾翼のハーケンクロイツが意図的に大きく記されている。本機は試験用に日本にも輸入され、比較的高い評価を受けた。

 

 メッサーシュミット社が開発したBf109は、ドイツ空軍にとって満足すべき、まさに名機と呼ぶに相応しい性能の戦闘機ではあった。だがその一方で、いくつかの弱点も指摘されていた。主脚(しゅきゃく)の轍間(てっかん)の狭さに起因する離着陸時の転倒事故の問題、構造の複雑さによる生産性低下の問題、ヒット・アンド・アウェー戦法に特化し過ぎているのではないかという運用上の問題などだ。

 

 また、Bf109が抱えたもうひとつのもっとも重大な問題は、戦争の成り行きにより、その「心臓」たるダイムラーベンツ社製DB601液冷エンジンの供給が不安定になるのではないかという懸念であった。

 

 そこでドイツ空軍は、Bf109を補助する戦闘機の開発をフォッケウルフ社に命じた。この要求に対し、同社の首席設計技師クルト・タンクは「Bf109が切れ味鋭い鋭利だが繊細なメス(「メッサー」とはメスの使用者、すなわち外科医の通称)なら、こちらは薪割りに使っても刃こぼれしない鉈(なた)、Bf109が競争に特化したサラブレッドなら、こちらは何でも屋の軍馬で行こう」という視点で設計に着手。

 

 ドイツ空軍は、エンジンだけはBMW801系空冷星型エンジンの使用を指定したが、Bf109の補助という設定の機体なので、そのほかには大きな制約は加えなかった。かくして誕生したFw190Bf109よりもクセがなく、まさにタンクが目指した「薪割りに使っても刃こぼれしない鉈、何でも屋の軍馬」ばりの頑丈で汎用性の高い機体に仕上がり、ヴュルガー(百舌鳥・モズ)の渾名(あだな)で呼ばれ重宝された。

 

『史上最大の作戦』で知られた名士

 

 そんなFw190を愛機としたエースは少なくないが、特に有名なのはヨーゼフ・プリラー(最終階級:中佐)だろう。小柄でずんぐりした体形だったため「ピップス」の愛称で呼ばれた彼の総撃墜機数は101機(異説あり)。スーパーエースをキラ星のごとく輩出したドイツ空軍としては、さほど多い撃墜機数ではないが、第2次大戦後半、名門部隊として知られる第26戦闘航空団「シュラゲーター」の司令に就任し、東部戦線のソ連機に比べて撃墜が難しいアメリカ機やイギリス機、それにB-17B-24といった4発重爆撃機などで稼いだスコアである点は留意すべきだ。

 

 プリラーの名を有名にしたのは、コーネリアス・ライアンの傑作戦記ノンフィクションで映画化もされた『史上最大の作戦』の中で、ノルマンディー上陸作戦当日の上陸地点に僚機とたった2機で機銃掃射(きじゅうそうしゃ)を行ったと紹介されたことによる。ちなみに彼の愛機のコックピットの脇には、愛妻の名前「ユッタ」の文字が記されたハートのエースのトランプカードが描かれており、彼は愛機を「ユッタヘルツ(「ユッタの心臓」の意。転じて「ユッタの心」)」と呼んだ。

 

 第2次大戦を生き抜き、戦後はビール醸造会社の経営者となったが、1961520日に45歳の若さで逝去した。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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