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スーパーマリン・スピットファイア(グリフォン搭載型)×ジェームズ・エドガー・ジョンソン~ジョンブル魂を象徴する名戦闘機

第2次大戦:エースとその愛機 第3回~誇り高き蒼空の騎士たち、そして彼らが駆った“愛馬”たち~

卓越した機体設計で大馬力のエンジンにも対応

 

1944年7月31日、フランス・ノルマンディーのバゼンヴィルに設営された前進基地で愛犬のブラックラブラドールリトリーバー“サリー”と戯れる“ジョニー”ジョンソン。バックには愛機のスピットファイアも写っている。

 

 有名なイギリスの戦闘機スーパーマリン・スピットファイアは、薄命の天才航空機設計技師レジナルド・ジョセフ・ミッチェルの卓越した機体設計によって生まれた。

 

 当初、同機にはロールスロイス社が開発した優秀な液冷エンジンのマーリンが搭載されており、ドイツ側がメッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190の性能を逐次向上させると、それに対抗すべくスピットファイアも性能向上を繰り返した。

 

 しかし、マーリンの出力向上の限界が、本機の性能向上の限界となるのは必然であった。

 

 だがこの点は当然ながら考慮されており、その解決策が、ロールスロイス社の新型液冷エンジンであるグリフォンだった。基本的にはマーリンのシリンダー容量を約25%拡大したもので、性能向上型のマーリンでは約1500馬力だったものが、グリフォンでは約2000馬力と、馬力の方も約25%向上している。

 

 グリフォンはサイズ的にマーリンと大差なく、大規模な改修をせずにスピットファイアへと搭載できた。ただしシリンダー・ブロック頂部が機首上面のラインからはみ出すので、機首両側の当該部分にナメクジ型の張り出しを設けている。また、マーリンの回転方向はコックピットから見て時計回りだったが、グリフォンは逆の反時計回りだった。

 

 大馬力のグリフォンのトルク(ねじれの強度)はマーリンに比べてかなり強烈で、それに抗するべく垂直尾翼の面積が増やされていた。このように、グリフォン搭載型スピットファイアを一口で言い表せば、軽自動車の車体に2000ccエンジンを積んだような機体だったが、驚くべきは、機体に大きく手を加えることなくこれほど大馬力のエンジンへの換装を可能としたミッチェルの基本設計の確かさである。

 

コールサインは「グレイキャップ」

 

 グリフォン・スピットが実戦に本格的に投入された時期、すでにドイツ空軍は衰退しており、空戦での同機の活躍の場はあまりなかった。代わりに、大戦末期に愛機だったグリフォン・スピットに自らの頭文字「JEJ」を識別コードとして書き込んでいたジェームズ・エドガー“ジョニー”ジョンソン(最終階級:少将)を紹介しよう。

 

 第2次大戦勃発以来、マーリン・スピットで戦い続けたジョンソンは、カナダ人中隊の中隊長を務めた縁で彼らの信頼を得てカナダ軍航空団司令などを務めている。19433月以降は「グレイキャップ」のコールサインを使い続けた。

 

 大戦中の総撃墜機数は38機(異説あり)で、これはイギリス空軍第2位のスコアだ。しかも同大戦での515回の出撃においてたった一度だけ、それも1発しか被弾しなかったという。

 

 戦後も空軍に残り、アメリカ空軍への交換派遣中に朝鮮戦争が勃発したので出陣し、最初はロッキードP-80シューティングスター、のちのノースアメリカンF-86セイバーの両ジェット戦闘機を駆って実戦に参加した。1966年に少将で退役。2001130日、ガンのためダービーシャーで逝去。享年85だった。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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