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気球聯隊と鉄道連隊が活動していた習志野原 千葉を中心に設置された部隊の跡が今も残る 

滅びゆく近代軍事関係遺産を追え!【9回】


 

■鉄道連隊とはどんな部隊なのか

 

 明治後半になり習志野原では陸軍大演習地が整備されてくる。広大な山野では騎兵の演習だけでなく、首都圏の歩兵部隊がくりかえし様々な想定場面での演習を行っていった。さらに、大正年間の宇垣軍縮にともない大量の佐官級クラスの退職勧奨が行われ、これらの軍人を救うために「学校現場での軍事教練」がスタートする。

 

 軍事教練カリキュラムの一環として、演習地現場での宿泊教練が組み込まれ、首都圏に近い習志野原では多くの学校が数日間宿泊しての教練が実施された。古い宿舎・酒屋などにはこの時宿泊した学校関係書類が今でも多数残存している。東京高等師範学校、立教大学、慶應義塾大学、府立第一高等学校などが代表例である。

 

 このような野外教練増加に伴い、広大な習志野原に軍用品・資材・飼料・物品などを運搬する目的で「軽便鉄道」が縦横に建設されることになった。

 

 明治271894)年7月20日、総武鉄道の船橋駅も開場して、この方面の鉄道事情も大きく変化してきた。

 

 日清戦争後の明治291896)年に東京の陸軍士官学校内に設置された鉄道大隊が、明治401902)年に千葉郡津田沼に移転して「鉄道連隊」となった。その後、鉄道第一連隊が千葉市に、同第二連隊が津田沼(現千葉工業大学)に置かれることになった。

 

千葉工業大学の正門

■鉄道連隊で使用された機関車

 

 当初は、ドイツ・クラウス社から明治341901)年に10両5組の蒸気機関車を輸入した。ついで、明治381905)年、376188組の大量発注をして日露戦争に動員しようとしたが、結果的には間に合わなかった。

 

 軌道幅は600ミリでレールと枕木は一体となっており、貨車に積んで運搬にも便利だったため、どこに運んでもすぐに設置できたようで、当時の地図には習志野原各地に線路が施設されていたことが分かる。

 

 大正年間になるとドイツ・コッペル社からE形蒸気機関車を31両購入して、これをベースとして昭和に入ると国産で「K2形蒸気機関車」を47両生産した。現在、津田沼駅前の公園にこの1台が保存されている。

 

 当時の鉄道線路は先述した「軽便鉄道600ミリ」と「JR規格狭軌1067ミリ」と「新幹線標準軌1435ミリ」の3種類があり、昭和81933)年、津田沼では満鉄用に大型蒸気機関車を走らせるためJR狭軌の外側に1本別の線路を設置していた。あの有名な「あじあ号」の前身が習志野原でも見えたのである。

 

 

津田沼駅前のK2型蒸気機関車

 

■気球連隊創設へ

 

 昭和41929)年819日、当時世界最大の飛行船だったドイツのツェッペリン伯号が世界一周中に霞ヶ浦航空隊に寄航した。このときは、上野から土浦への臨時列車が運行されるなど東京からも見物客が押し寄せ、観衆は30万人に及び「君はツェッペリンを見たか!」という新聞の見出しが流行語になったと言われている。この当時、霞ヶ浦航空隊には第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約に基づいたドイツからの戦利品である飛行船用の巨大格納庫があったことと、湖畔にあるため見晴らしがよく、風も穏やかで航行の条件がよかったことから寄港地として選定されたといわれている。

 

千葉の気球聯隊。絵葉書より

 そもそも、わが国の気球軍事利用は西南戦争時の熊本城攻防戦で城内との連絡を想定して気球活用が提案されたことが嚆矢とされている。その後、欧州で気球利用が高まるにつれ、日本でも陸軍内に本格的軍事活用が模索され大正2(1913)年に陸軍気球隊が埼玉県所沢飛行場に置かれた。ついで、昭和2(1927)年に千葉県都賀村(現千葉市都賀)に移転、この時の兵力は気球2個予備2個の中隊規模であった。昭和111936)年に陸軍気球聯隊に改組され、所属もそれまでの航空科から砲兵科となった。

 

 その後、日中戦争、太平洋戦争にも一部従軍したが、進歩する航空勢力の勢いに後れをとり、華々しい活躍場は無かった。

 

 大戦末期の昭和191944)年、アメリカ本土攻撃のため風船爆弾計画が策定され、気球聯隊を母体とした『ふ』号作戦気球部隊が編制された。3個大隊で編制された気球部隊は、茨城・千葉・福島の3カ所の基地に展開し、風船爆弾作戦に従事した。この風船製作には東京日本劇場で女子高校・大学生らがデンプン糊などを使用しておこなったことが知られている。最終的には9,300個の風船爆弾を放球し、その内360から1,000発がアメリカ本土に到達、被害を与えた例も報告されている。

 

 千葉市内に残っていた気球聯隊倉庫は戦後民間企業の倉庫として活用されていたが、数年前の台風で倒壊し、現在は取り壊されている。

 

千葉県九十九里に残る打ち上げ碑

 

 

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山岸良二やまぎしりょうじ

1951年東京生。慶應義塾大学大学院修了。専門は日本考古学。東邦大学付属中高校で44年間教鞭。退職後昭和女子大学、放送大学で教壇に立つ。日本最大の考古学会である日本考古学協会理事歴任。「世界一受けたい授業」日本テレビ、「ダークサイドミステリー」NHK、2021年BSフジ「日本史の新常識」、2022年フジ「何だコレ!ミステリー」などテレビ出演多数、。毎日新聞千葉版で「習志野原今昔物語」全11回連載。著書に『考古学のわかる本』『関東の方形周溝墓』(同成社)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)、『いっきに学び直す日本史』(東洋経済)、『秋山好古と習志野騎兵旅団』(雄山閣)など多数。2025文化財保護貢献で「旭日単光章」叙勲。

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